世の中の大概のニュースは知らない。
知っていなきゃいけない理由もない。
本当に大事なことなら1年後でも3年後でも大事なので、3年後に大事でなくなっているなら今も大事な話ではないのだろうと多寡をくくっている。
それにおそらく、本当に大事な話なら逆に今現在は大事な話とは扱われていないだろうから、ナウい話題を追いかける必要性すら感じていない。
時候の挨拶に困らない程度に時流に乗っていればいいかと思っている。

固いなあ。

高校1年生んとき、数学の授業についていけなくてよく前の席の奴に教わっていた。
結局、奴は某帝国大の歯学部かなんかに進んだ。
2年のことは忘れたが、3年の時の前の席の奴は上智の英文科に進んだ。
英語で書かれた聖書を勉強していたことを覚えている。
クラスメイトのその後のことはほとんど知らない。
多少は知っているか。
俺と同じ文系クラスの半分より前のランクにいた奴が大学出て東京銀行に就職していたことを最近知った。
東京銀行がなくなった今もいるかどうかまでは知らない。
一度も同窓会に出席していないし、一度でも同窓会が行われたかすらも知らない。
一度も開催していない可能性が高いと思うが。

人との別れは「あの日、別れたまま」というのが望ましい。
変に別れや出会いの「儀式」があると、お互い窮屈だ。
「じゃあ」くらいな挨拶で別れて、何十年ぶりだろうと「どうも」程度の軽い挨拶で、昔別れた瞬間に戻れたら最高。

「どうも」って生まれて、「そいじゃ」って言って死ねたら最高。
「天上天下唯我独尊」なんつって言って生まれたら、後が大変。
どんだけ生まれた瞬間のモチベーションを維持して生きなきゃいけないんだよ?
死ぬ瞬間はあっさりとしていたい。
どんなに生きている途中はドロドロのぐちゃぐちゃだろうとも。

てか、ドロドロのグチャグチャじゃない人間なんかいるのか?
どうせ、人は生まれながらにして罪人なんだろ?