「成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない。」

「売上げと利益の両方を伸びを約束する経営者は、嘘つきか馬鹿のどちらかだよ。たいていは両方だよ。」

「今日われわれは、賢人の石を発見したと称する錬金術師たちが、たんなる詐欺師であって、騙された貴族や哲学者、学者が、たんに馬鹿だったにすぎないことを知っている。」


以上、ドラッカーとかいう爺様の言葉だそうな。
GMの破産のニュースを見ていたら、ふと、ドラッカーでもという気になった。
別に俺がドラッカーなんか信奉しているわけじゃない。
そういや昔、上司にそんな人がいたなと。
ドラッカーという偉い人がいてどうとかこうとか俺に話してくれたなと。
知ってても意味がないと当時の俺は思ってたから話半分も聞いちゃいなかった。
繰り返そう。知ってるかどうかに価値はない。
年をとった人間がより多くのことを知っているのは当たり前の話だ。
それを偉そうに語るだけではだめなのだ。

あの上司は失意のうちに若くして亡くなってしまった。
故人を悪く言うのもなんだが、俺とあの上司の関係ならあの上司も俺の言いたいことを理解してくれるはず。
「そうだった、お前の言うとおりだったよ」と。
ただ、あの頃の俺には能力も自信もなかった。
そのことだけが悔やまれる。
あの人の力になれなかった自分が悔しい。






人を見分ける力に自信のある人ほど間違った人事を行う。 人を見分けるなどは限りある身の人間に与えられた力ではない。

間違った問題への正しい答えほど始末におえないものはない。

すでに社会は、「どれだけの教育ある者を扶養できるか」から、「どれだけの教育のない者を扶養できるか」へと問題の焦点を移している。

部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない。

事業には、それ以上成功することは自らにとって有害であるという分岐点がありうる。

優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである。 一度も間違いをしたことのない者、 それも大きな間違いをしたことのない者をトップレベルの地位に就かせてはならない。間違いをしたことのない者は凡庸である。 そのうえ、いかにして間違いを発見し、いかにしてそれを早く直すかを知らない。

何も行動しないということは、いかなる行動にも劣らない立派な意思決定である。 ……問題に対しては、つねに行動をとらなければならないという考えそのものが、迷信にすぎない。

オーナー起業家に天才的なひらめきがあるというのは神話にすぎない。 私は40年にわたってオーナー起業家たちと仕事をしてきた。 天才的なひらめきをあてにするオーナー起業家は、ひらめきのように消えていった。

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。 責任をもつがゆえに、自由となる。

今の若い人はやる気がないとこぼす前に、彼らがもっているものに目を向けなければなりませんね。彼らにしても貢献への強い欲求をもっています。 むしろ彼らは焦りすぎているのかもしれません。彼らがもっているものを引き出して、社会の一員としなければなりません。

忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである。

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない。

完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする。

成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない。

凝りすぎたイノベーションはほとんど確実に失敗する。

複雑なものはうまくいかない。

ジッパーを発明した者以外で、衣類をとめるのにボタンやホックでは不都合だなどと考えた者が何人いたか。 あるいは、ボールペンを発明した者以外に、あの19世紀の発明たる万年筆に欠陥があり、その欠陥が何であるかを考えた者が何人いたか。 ……あとになって答えることは容易である。だが事前に答えることはできるだろうか。

通常、ベンチャーが期待にそえず、それどころか生き残れなくなるときのセリフは、「あの連中に市場をとられるまではうまくいっていた。彼らが市場に出したものはうちのものと大して違わなかった」 である。あるいは、「うまくいっていた。ところがあの連中がとんでもない客に売り始め、そのうちこちらの市場までもっていってしまった」 である。

つねづね言っていることだが、マネジメントは科学ではない。臨床的な体系である。 マネジメントの値打ちは、医療と同じように、科学性によってではなく、患者の回復によって判断しなければならない。

泥棒は自らの性癖のゆえに逮捕されたことを認めない。逮捕の原因となった性癖を直さず、言いわけを探す。 自らの性癖によって市場を失った企業も、それを認めない。ほかの原因を言いわけにする。

定年後のマネープランは必要である。しかし心理的な準備のほうはなかなかうまくいかない。 うまくいっているならば、淋しく職場を去りゆっくりと死に向けて消えていく人たちがあのように大勢いるわけがない。

経験をつんだ後のほうが勉強できる科目は多い。マネジメントがその一つである。 ……しかも一般的にいって、重要な科目ほど経験をつんだ後のほうが学びやすい。

真の保守主義は、現実については、真の革命主義につねに同意する。 ……保守主義は、事実について現実的であることにおいては、決して保守的ではない。

自らに対し、少ししか要求しなければ、成長はしない。 極めて多くを要求すれば、何も達成しない人間と同じ程度の努力で、巨人にまで成長する。

あらゆる関係者が起こりえないと知っていることこそ、徹底的に検討しなければならない。 起こりえないことこそ、自社にとって、何かを起こすための大きな機会となりうる。

事象そのものは、事実ではない。

組織において、力強くはあっても腐ったエグゼクティブほど、ほかの者を腐らせる者はいない。

力を集中するための第一の法則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。

真のマーケティングは、顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する。

卓越した者の強みや能力が他の者にとっての脅威となり、 その仕事ぶりが他の者にとっての問題や不安や障害となることほど、組織にとって深刻な問題はない。

死体が臭わないようにすることほど涙ぐましく、しかも不毛な仕事はない。

指揮者は、一人の人間を受け入れるために、楽譜を書き直したりはしない。

経営管理者は現実的でなければならない。しかるに、冷笑家ほど現実的でない者はいない。

予期せぬものは、通念や自信を打ち砕いてくれるからこそイノベーションの宝庫となる。

一つの成果をうるためには数千のアイデアを育てなければならない。






パクリだけでここまできた。
読む人間など誰もいない。
今の俺みたいな仕事してると、いろいろな人間と会う。
偉いさんからそうでない人まで多種多様。
しかし、大概、相当のえらいさんまでお会いしたけど、なかなかコレという人には会わない。
むしろ、何じゃコイツみたいな人種が多い。
尊敬できないような人間が、「俺は経営者だ」とか言ってえばってる。
能天気にそんな人もいるかと思えば、社員や顧客、株主のことを考えて真剣に苦悩してる社長さんもいる。
俺にはあれだけの苦悩を背負うのは無理だと思うほどに。
景気が悪いから苦悩するのではなく、いつも常に苦悩している。
そういう会社は生き残って欲しいと第三者の俺からみても思う。
馬鹿野郎の経営者のいるところは、とっとと潰れろこの野郎と思う。

もしかしたら、このブログの主催者の社長に会う気になれば会えないこともないかもしれない。
そのときは著書にサインでももらうとするか。
関心ないけど一応。
セレブとやらに。

こちらからは「雇用を生み出すことにもっと真剣に取り組め、セレブさん」という標語でも送るとするか。
たかが上場企業になったくらいで有頂天になってないで、ちゃんとしたリアル事業をやれよ。
自分を取り巻いてくれるアホばっかりに囲まれてさ。
GMだって潰れる世の中だ。
GMも時代のニーズを捉えられなかった報いなんだろう。
人間には上も下もない。
卑弥呼の墓がどうとか話題もあるけど。
仁徳天皇の作とされる和歌に
「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり」
とかいうのがある。
昔から日本人はこういうのに感動するんだよ。
偉い人が庶民の生活まで気にしてるということを。
やれセレブです、自家用ジェット機です、ヒルズです、じゃ駄目なんだよ。
土光さんもメザシで国民の人気を得た。
二宮尊徳もそうだし、上杉鷹山もそう。
徳がないのは駄目。
マリーアントワネットなんかもってのほか。
そんだけみんな貧しかったのよ。
貧しい人間の中から、ちょっと成功したからって贅沢したりしたら総スカン。
昔の長者番付の大正製薬の上原さんだって。
多少は贅沢しても、なんかあればすぐ叩かれる。
芦屋の豪邸とかも、ほんと大したことない。
あの程度で贅沢だとか言われる国なんてほかにない。
フェラーリが何台あろうがまったくどうでもいいのに、他人に厳しすぎるよ。
フェラーリが好きなら買えば?ジャグジーに入りたければ買えば?
それでいいじゃん。
自分の収入で買う分にはなんら問題ないと思うんだけど。
それを会社の経費とかで落としてるとかいうなら話は別だけど。
自宅まで運転手に迎えに来させているオーナーとかいっぱいる。
よく見るけど、あんまり見栄えのいい光景じゃないように思う。
あれって運転手の給料とか車代は会社の経費だよな。
年間にすると結構な金額になるはず。
セキュリティの問題があるにしても、ご老体ならいざ知らず、若者があれは格好よくない。
セキュリティがどうとかいうなら防弾装備のある車にすればいいんだよ。
どうせ不逞のやからに襲われる危険のあるほどの人物なんだろうから。
男らしくないよ。
その点、明治人は男らしいよ。
暴漢に襲われる心配があっても最小限の警備しかつけなかった。
そのせいで大久保卿や伊藤博文やらも命を落としたし、板垣退助やら誰やら結構危ない目に遭ってる。
男子たるものテロから命を狙われてこそ一人前。