社会集団が集団の力でもって世の中を正すことが

できないと思うようになったらそうなるね。

 

 

選挙で投票に行ったって、政党が議会で正してくれるか? 

野党なんて今や存在しないも同然じゃないか。

 

 

国会で政府に対して国民の利益を代表してやり合う政党があれば、

国民は託すんだよ。だけど、そうでなくなったらテロが出てくる。予言するよ」

亀井静香

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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山上徹也に対して、書いておくことが

もう一つあった。

 

 

山上に同情するのは、彼には最初にあった。

あったものが失われてしまったこと

 

 

これがとても大切な視座であるように思う。

最初から何もなければ、それが所与のものとして生きる。

 

 

ないのが当たり前だと認識しているなら

ないものを前提に生きていく。

 

 

ところが彼には、ちゃんとした母親がかつて存在し

それが、朝鮮のカルト宗教に奪われてしまった。

 

 

その上、親切な親戚まで存在し

彼ら家族を助けている。

 

 

ちゃんとした母親がいて、よく機能している家族の中から

彼は生まれ、育ったこと自体が問題の引き金となっている。

 

 

現代において、そういう環境は少ない。

家族、そこで<親密性>や<信頼>などをからだで覚え、忘れ、身体化する。

 

 

彼は、身体化の最中に、もっとも大切な家族を失ってしまった。

その大切な家族の中核をなす母親を奪われて

 

 

 

もっとも大切なものを失う喪失感が、産まれてしまった。

そんなものが最初からなければ、喪失感なんてない。

 

 

親戚である叔父の優しさが

おそらくその喪失感に拍車をかけただろう。

 

 

助けてくれる親切な叔父によって

失われてしまったものの大きさを、何度も確認させられただろう。

 

 

 

彼と自分を比べると、最初から何もなかった。

<親密性>や<信頼>などを身体化するどころか

 

 

虐待の日々で、それを行うのは母親だった。

いつ何時、殺されるかという恐怖の中にいた。

 

 

親戚はいたが、誰も助けてはくれなかった。

それどころか、病気で寝込んで餓死寸前で助けを乞うたが

 

 

あっさり断られた。

その人間が、自分の羽振りがよくなるとたかってきた。

 

 

同じタクシーに乗って、さっさと降りて

後から降りるように仕向けられて、自分が払った。

 

 

お礼の一つもなかった。

その後、一緒に飯を食い、気付くと全部、自分が払っていた。

 

 

ごちそうさま、とか、すまんな、の一言もなかった。

何事もなかったように自然だった。

 

 

その後、その店が美味しかったので

自分一人で、もう一度、行ってきたと自慢された。

 

 

された当時は、よく分からなかったが

最初からない、もしくはマイナスからスタートすると気付かないのだろう。

 

 

家族も親戚も、病気で動けず餓死寸前でも、平気で見捨て

金を持っているとたかってくる、これが普通の世界だった。

 

 

 

 

山上にはあったのだ、母親、家族、兄弟、親戚など

すべて揃っていて、持っていたのだ。

 

 

あった人間とない人間とでは、大きく違う。

ない人間はないのが当たり前の光景で、失うものすらない。

 

 

何もなくマイナスから生き始める人間では

山上の喪失感の大きさ程度は、図れない。

 

 

しかしそれが途轍もなく大きなものであったこと

それにより彼が苦しみぬいたことは、ある程度、想像できる。

 

 

 

あって当然だったものが奪われた。

有閑階級から無産階級へ突き落された。

 

 

そこからの出発は、非常に困難で、だいたいの人は挫折する。

挫折した人びとは、挫折させられたモノへの復讐の火を灯す。

 

 

復讐の炎が燃え上がって、世の中を正すために

一種の狂気を伴い、テロへと走らせる。

 

 

現代におけるテロリズムは、そのように表出し

次々と着火していく可能性を秘めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の標的が、安倍さんではなく、竹中平蔵さんだったら

もっと救国の英雄として、祭り上げられ、歴史に名前を刻んだかもしれない。

 

 

竹中平蔵さんだと安倍さんよりも難しい。

安倍さんの場合は、うまく安倍さんだけできたが

 

 

竹中平蔵さんの場合、周囲の人も巻き込まずにやれないだろうが

もし巻き込んだとしても、救国の英雄になったと思われる。

 

 

安倍さんの場合は、「悪」と分かりにくいが

竹中平蔵さんの場合、日本人にとって、はっきりした「悪」

 

 

こうなると一般庶民の生活をよくしなければ

と各分野の人間が考えを改めただろう。

 

 

すると、日本人の宗教観からすると

山上徹也の神社ができた可能性がある。

 

 

そういう方向へ、世の中が向かないと

まだまだ日本は、テロが起きてしまう。

 

 

亀井静香さんがおっしゃるように

選挙なんか行ったって、何もしてくれない。

 

 

リンドが言うように、中間共同体による民主的多元主義が

再生するには、一世代以上かかる。

 

 

リンドが恐れるのは、今まで虐げられてきた人々が

高級住宅街を襲う光景である。

 

 

最悪のシナリオは、山上のように一個人で行われるテロではなく

無力感を学習されられた人びとが、暴徒となって

 

 

下流階級が上流階級を集団で襲うテロリズムである。

 

 

山上徹也の周りで起きてしまったことを、自身や周囲・社会と照らし合わせて

われわれは、明日は我が身と、深刻に受け止める必要がある。