「感覚はときに、わたしたちの知性をきづく歪ませたり、彎曲させたりするが

知性をさらに厳密にするために、それをしずかに後押ししてくれることもある。

 

 

ほのかに伴奏してくれることもある」

鷲田清一    感覚の幽(くら)い風景

 

 

 

 

重度の活字中毒者なので、それなりに本は読んできたつもりだったが

こんなに恐怖を感じた本はなかった。

 

 

 

【中古】家族という病 (幻冬舎新書) [新書] 下重 暁子のサムネイル

 

 

 

敗戦直後に小学校3年だったとあるので

かなりの高齢の女性なのだろう。

 

 

NHKのアナウンサーだったという。

これだけ世界を呪う人がいるのだと衝撃が走った。

 

 

てっきり何かの専門家が書いたものと思い込んで

適当に買ってしまって、2時間ほどで読了

 

 

途中、考え込むことが多かったから

おそらく1時間ぐらいの本

 

 

べっとりと付きまとって離れない違和感

人間の根源的な悪とでも言うのだろうか。

 

 

鷲田清一が積み上げてきた思索

戦後の左翼系文学者たちが書こうとしてきたもの

 

 

建築家・山本理顕のあまりに重い言葉

ずっと日本人が大切にしてきたモノ

 

 

脱構築された大切なことを再構築してくことの

至難さを乗り越えて、かけがえのないものを取り戻していく。

 

 

そういったことを全部、蹴り飛ばしてしまうことの恐ろしさが

この本では詰まっていて、この世のあらゆる醜悪さを体現している。

 

 

 

ふと何かで、大澤真幸と柴山さんが対談しているのを見かけ

大澤真幸か懐かしいな、読み返すかとごそごそ探している中

 

 

大澤真幸って日本の病理なんだよな、と考えていたら

この本で、現在の日本が抱えている病理が一気に噴出した気がした。

 

 

大澤真幸と柴山さんの対談は、いつか書こう。

大澤真幸は、柴山さんが対峙しても意味がない。

 

 

大澤真幸これ自体が、病理であって、病気と話し合って

病気が治るはずがない。

 

 

 

 

下重暁子が吐き出している毒は、

病んでいる日本を深刻な合併症にし、死に至る病へと変える。

 

 

 

序章で、自分の家族について何も知らなかったと愕然とし

親しい友人・知人のことは、的確に把握することができるが

 

 

同じ家で長年一緒に暮らしても、何も分からず

家族という単位が苦手であり、個でしか捉えられないという。

 

 

 

父親は、画家志望だったが、陸軍のエリートになり敗戦後、

彼女にとって、落ちた偶像になる。

 

 

敗戦後、戦争や軍隊への嫌悪、日本の経済復興、右傾化

戦後のすべてが、許せない。

 

 

食事も同じ時間を避ける

父親を理解することを拒否

 

 

父親の俳句

 

春蘭の芽にひた祈る子の受験

 

紅絹(もみ)掛けし衣桁(いこう)の陰や嫁が君

 

 

「芸術家肌で傷つきやすく優しい神経の持ち主だった。

胸の奥が痛くなった。

 

私は慌ててそこから目をそらした」

(P14)

 

 

主治医から、「なぜ見舞いに来ないのか」と手紙

「あなたに私と父の確執がわかるか」と腹を立てる。

 

 

内心忸怩たる思いがあるが、分かりあわず終えたことに満足

が、一番よくわかっていたのかもしれないという。

 

 

 

「母は私のためなら何でもした。

娘のために生きているような人で、

 

 

あらん限りの愛情を注いでくれることがうとましく

私はある時期から自分について母には語らなくなった。

 

 

私の出ているテレビや活字についても、知人から教えてもらうまで

知らないことを彼女は悲しんでいた。

 

 

もっと自分自身のために生きてくれたら

私はどんなに楽だったろう」

(P15)

 

 

「私達は家族を選んで生まれてくることは出来ない。

産声をあげた時には、枠は決まっている。

 

 

その枠の中で家族を演じて見せる。

父・母・子供という役割を。

 

 

家族団欒の名の下に、お互いが、

よく知ったふりをし、愛し合っていると思い込む。

 

 

何でも許せる美しい空間・・・。

そこでは個は埋没し、家族という巨大な生き物と化す。

 

 

家族団欒という幻想ではなく、一人ひとりの個人をとり戻すことが

ほんとうの家族を知る近道ではないのか」

(P17)

 

 

 

こんなに悍ましい文章を書ける人間に

初めて出会って、真の恐怖を味わった。

 

 

こんなに悍ましい感性の人間に

初めてであって、本当に驚愕した。

 

 

どれだけ売れているのかを確認すると

30刷り、こんな怖いことはない。

 

 

年齢はおそらく、80代後半

これだけ長く生きて、もし家族というものに興味をもったならば

 

 

それなりの家族論なりの知識があってもいいはずだが

まったくなく、知性・教養などあらゆるものが欠片も見られない。

 

 

 

われわれは何かを思索する際、誰かの思索の後を受け

思索を始めるもので、個人の体験のみだけではしない。

 

 

それがこの人は、思い込みだけでできてしまう。

いきなり、個が誕生すると思い込んでいる。

 

 

父についてひとしきり憎悪を語ったかと思えば

歪んだ愛情を示す。

 

 

母について語り、感謝の念を述べるかと、思いきや

母が思うままに生きてほしかったという。

 

 

確かに、家族団欒は幻想かもしれないが

家族なくして、個は誕生しない。

 

 

一人ひとりが個人を取り戻せば

ほんとうの家族を取り戻せるのだ、と主張する。

 

 

家族の中で埋没している個、それを掘り起こして

個人を取り戻す、こんなに難しいことはない。

 

 

 

それもこれだけ恵まれた家庭で生まれ育ち

女性で大学にも行かせてもらい、アナウンサーにもしてもらった。

 

 

それでも父を呪い、母を呪い、家族を嫌悪する90歳近い人間

この敗戦後の病理は、一体、何なのか

 

 

しばらく気になる部分を書き抜きながら、旅をしてみる。

「下重暁子」という敗戦利得者を追えば、戦後の深刻な病理が見えるかもしれない

 

 

 

感覚の幽い風景

 

 

 

おそらく鷲田清一を参照しながら

だが鷲田だけでは、足りないだろう。

 

 

現代の日本が抱える生きづらさ

これが、下重を通して見えるかもしれない。

 

 

ひろゆきに付き合った後に、「下重暁子」にいくとは

一体、何をやっているのかと自分に問う。