リフレ派十訓
1.リフレをすれば必ず景気が良くなる。
なぜなら景気が良くなるまでリフレするからだ。
これを頭に叩き込め。
2.常にリフレしていればそのうち他の要因で景気が良くなるときが来る。
そのときに思い切りリフレの手柄を主張しろ。
3.いいことはリフレの手柄、悪いことは他の要因のせいにしろ。
4.データは都合のいいところだけ使え。グラフは切貼りしろ。
5.タイムラグを上手く使え。
6.「これがリフレだ」と明言するな。
定義を問われたら「リフレの本を読め」と言っておけ。
7.批判されたら「お前はリフレを理解してない」と言え。
リフレの定義を名言してなければ楽勝。
8.いざとなったら定義を変えろ。金融政策に固執するな。
「あの時とはステージが変わった」と言えば楽勝。
9.反対する奴や批判する奴を許すな。
大勢で取り囲んで吊るし上げろ。
10.キチガイのように噛み付き罵倒しろ。
相手がウンザリして逃げたらコッチの勝ちだ。
リフレ派を見れば、まずこれを叩き込むことが肝要である。
騙される前に、これさえ胸に刻んでおけば大丈夫。
田中秀臣という名前だけで、見る意味がないのだが
池戸さんが出ているので、何かしながら聞いてしまった。
えらい気合入ってんな~と。
1人だけ伝統的な日本のケインジアンなのだから、そうなるのかな。
それともSNSやりすぎて、典型的なスマホ脳になっちゃったのかな
な~んて思いながら、聞いていた。
なんか成田悠輔くんみたいな人がいて
ボクの考える経済政策(幼稚園児)に、出演者が興味津々。
つまんない時間を過ごしてしまったが、
森永さんの息子の森永康平くんの主張に、違和感を感じた。
積極財政を行うべき、と考える派閥はどうやら2つあるようだ。
森永くん 選択と集中を行うべし
池戸さん 満遍なく
池戸さんの主張は分かっているので
なんら違和感はない。
公的資金需要はとても大きいので、各自治体、各省庁、
各種中間団体の代表者、それに政治家などの意見を聞き入れて予算をつける。
勝手な注釈
大阪だけは維新なので、緊縮だから、いらない。
竹中平蔵さんたちのような同和利権と中国共産党にくれてやる必要はない。
森永くんの主張
選択と集中をやるべき
特に、土木などは、予算をつけても消化できないから。
でも、子ども食堂なんかは、すぐに予算つけてあげるべき。
マクロのミクロ的基礎づけは、必要など。
この意見、特に土木関連に関しては、非常に違和感がある。
大石先生や藤井先生の議論を、けっこう聞いていたし、本も読んだ。
小池淳司先生の話も、よく聞いたものだ。
大石久和先生は、国土学の提唱者。
藤井聡先生は、有名になる前から知っている。
国土強靭化という考えは、藤井先生の集団から生まれた。
昔は、国土計画がちゃんとあり、災害対策も計画的になされた。
そしてある程度、自然災害を防げるようになったのに
「公共事業悪玉論」がマスコミを中心として展開され、予算はバッサリ切られた。
この頭脳集団だけではなく、国交省自体もちゃんと考えはある。
それを実行できないのは、ひとえに予算がつかないから。
「今、地方をごらんなさいよ。
予算なんかつけても執行できませんよ」とバッサリ。
この議論に、大石先生や藤井先生が参加していたら
めっちゃキレているかもしれなかった。
温厚な池戸さんだから、軽く流していたが、
池戸さんでも、かなり違和感あるだろうなと思った。
師匠の宍戸先生も、藤井先生の集団と関わりが深かったから
こんな浅薄な意見は、一蹴されていたろう。
自分は学者じゃないから、日和見主義でいいんだ、
何にでもなびくんだ、これじゃあ問題あるんじゃないのと。
2世タレントで、親がたくさん稼いでくれて、知名度も作ってくれた。
そのおかげで、学歴も買えたし、いいところに就職もできた。
独立しても、親のおかげで何のリスクもなく
楽勝でやっていける、んー、こういう背景じゃ、ちと厳しい。
今、絶賛売り出し中だが、選択と集中論、根拠は経験論的懐疑論
池戸さんの「満遍なく」は、経験論的懐疑主義を批判している。
池戸さんが、マズローの欲求5段階説を出したのには、ちょっとびっくり。
これはこれで問題あるのだけれど、
現状、一番下の段階すらできなくなった日本で、
こんな低俗なものでも使わざるを得ないかも。
森永くんの主張の「選択と集中」は、相対主義的懐疑論で一蹴される。
また経済学者やエコノミストとその周囲にのみ使われたら、どう~すんの。
力相関からいって、子ども食堂がパソナ、パソナ、パソナと
パソナまみれになったら、ど~すんの。
飢えて食べられない子供たちのための「子ども食堂」
これが、ピンハネ業者まみれになる可能性の方が、高いじゃん。
ボクの考える「集中と選択」論は、どんな案を出してきても
ポストモダンでいくらでも叩きつぶせる。
現状の日本は、どこの分野もお金つまり予算が足りない。
どこか特定のところにだけ予算をつければ、必ず不満が出る。
「選択と集中」VS「満遍なく」、どちらがいいのだろうか。
自分としては、計画的に継続して「満遍なく」
ちなみに、田中秀臣は典型的なリフレ派である。
あの金利下で財政政策は無効、金融政策命を唱えており、
公的資本形成に関しては、供給制約ガーと喚いていた売国一味。
今になって、ポスト・ケインジアンに自分の考えは近い、と言っている。
おかしいな、リフレ派にケインズは住んでいないのに、
パッチワーク経済学リフレ派理論のどこに、ケインズを入れ込むのだろうか。
リフレ派の理論の一階部分に住んでいる
ミルトン・フリードマンの新貨幣数量説は、どこにいく。
田中秀臣の面白いところは、負ける可能性が高い経済討論には絶対に避ける。
かつてSNSでブロックしまくって、ブロック田中と自称していた。
田中秀臣は、池戸さんにそういう説明したら
成田悠輔くんに勝っていたんじゃないのと、上から目線で言っていた。
田中秀臣VS成田悠輔くんもおもしろそうだ。
経理マンらしく淡々と議論を展開して、
成田悠輔くんの本性を暴露してしまった池戸さんほどうまくやれるだろうか。
そんな寸劇より、問題は日本経済。
質の低い論者はいらない。
もっとレベルの高い論者による経済議論を聞きたい。
だって、経済学の本を読みあさちゃったんだもの。
リフレ派の、「流動性の罠」に陥っても金融政策が有効で
マンデル=フレミングによる財政政策無効論は、どこに行ったのだろう。
米国の主流の経済学者たちが、軒並み意見をかえたので
自分たちもこっそり意見を変えたのだろうか。
リフレ派理論、パッチワーク経済学は
どう変化するのだろう。
さて資本主義における経済政策の
「ほんとう」は、どこにあるのだろうか。