全文
長いので、要約する。
現代のウクライナを作ったのは、共産主義ロシアである。
第一次世界大戦前ウクライナの大部分はロシア帝国、
残りの西側地域が、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあった。
大戦中、2月革命でロシア帝国が崩壊し、社会主義革命、10月革命を経て
1922年にソビエト社会主義共和国連邦が誕生した。
連邦制の国家体制を作るというレーニンの構想と、
ウクライナやグルジア(ジョージア)など連邦共和国の主権を尊重する
民族自決権が、ソビエト連邦樹立宣言に明記され、
1924年のソビエト連邦憲法にも明記されたことが
ソ連崩壊につながっていった。
ソ連邦の崩壊と分裂の原因は、共産党統治体制を確立するため
連邦を構成する共和国の権限を広範に認めてしまったことだ。
分析
1922年スターリンは、ロシア共産党中央委員会書記長と
民族問題人民委員を兼任する。
行政・領土単位である共和国に対し、統一国家に編入する際
広範な権限を付与する、要するに、自治の原則に基づく国づくりを提案
レーニンは批判し、民族主義者に譲歩することを提案
連邦制の国家体制を作るレーニンの構想と
分離まで含む民族自決の権利のスローガンが、ソビエト国家の基盤となる。
1989年、採択されたソビエト共産党の綱領
連邦共和国は、主権的な社会主義国家としての
地位に相応するすべての権利を有する。
連邦共和国の最高代表機関は、その領土において、連邦政府の決議や
命令を不服とし、その効力を停止することができる。
各連邦共和国は、独自の市民権を有し、
その市民権をすべて住民に適用させることができる。
ソビエト連邦政府は、連邦内の共和国の最高代表機関より
上位に位置するものである、これがプーチンの解釈である。
つまり、崩壊と分裂の原因となったのは、スターリンの提案と
レーニンの提案が理想主義すぎ、強力な国家体制を作り得なかった。
ゆえに、EUや米国などの侵略を許してしまっている。
これが、大問題なのだという主張である。