「たとえ外国人には奇異に見えようとも、

生きている都市には固有の伝統が存在する。

 

それを無視して都市を切り売りすることはできない。

(中略)これがわれわれの街なのだ。

 

(中略)これがわれわれの伝統であり、われわれの街なのだ。

われわれは長い間共産主義者の独裁のもとで生きてきたが、

 

実業家の独裁のもとで暮らすようになっても

生活はいっこうに良くならない。

 

彼らは自分たちがいる国のことなど

まったく気にしていないのだ」

グレゴリー・ゴーリン

 

 

 

「真理を広めなければならない。経済学の法則は工学の法則と同じである。

ある一連の法則があらゆるところに当てはまるのだ」

ローレンス・サマーズ

 

 

 

エリツィンは、「半年ほど事態が悪化する」が、その後は回復に向かい、

近い将来ロシアは世界で2本の指に入る経済大国になる、と約束。

 

 

Yeltsin, "Speech to the RSFSR Congresss of People's Deputies."

 

 

わずか1年後、インフレによる貨幣価値の急速な低下によって

何百万というロシアの中産階級は老後の蓄えを失い、

 

突然の補助金削減は、何百万人もの労働者を何か月にもわたる

賃金未払いの状態に追い込んだ。

 

 

Stephen  F.Cohen ,"Can We 'Convert' Russia?"

Washington Post ,March 28,1993

http://www.ombragvg.com/pdf/librareklama1/doktrinashok.pdf

 

 

Hellen Womack ,"Russians Shell Out as Cashless Society Looms,"

Independent(London) ,August 27,1992.

 

 

 

 

1992年、平均的なロシア人の消費は前年比40%減少、

貧困ラインを下回る生活を強いられる国民は全体の三分の一に達する。

 

Russian Economic Trends,1997,page,46,cited in Thane Gustafson,

Capitalism Russian-Style (Cambridge Univercity Press 1999),171

 

 

 

中産階級は、路上に机を置いて、

私物を売るところまで、追い詰められていた。

 

 

事ここに至って、ロシア国民は、自分たちが置かれている状況に気づき、

モスクワで、「実験はもうたくさん」とあちこちに書かれるようになった。

 

 

この残酷な経済冒険を止めるように、要求を始める。

ロシア議会は、国民たちの圧力で、大統領と経済学者を軸とした

革命者たちの暴走を抑えなければならないと、判断する。

 

 

1992年12月、議会はガイダルの解任を決議、

1993年3月エリツィンに付与した特別権限

大統領令により経済関連法を公布できる権限の無効化を決議した。

 

 

「ボリス1世」と自称していたエリツィンは、テレビ出演の回数を増やし、

非常事態宣言を発令し、絶対的権力に固執する。

 

 

三日後、ロシア憲法裁判所は、この非常事態宣言は

9対3で、憲法違反と採決を下す。

 

 

エリツィンが自ら守ると宣言した憲法に、

8つの訴因で違反していたからだ。

 

 

エリツィンとショック療法を実施する人びとは

議会と憲法、これに真っ向から対立した。

 

 

クリントン米大統領

「自由と民主主義のために真に尽力し、改革のために真に尽力」

とエリツィンを支持した。

 

 

Gwen Lfill ,"Clinton Meets Russian on Assistance Proposal ,"

New York Times ,March 25,1993

https://demokratizatsiya.pub/archives/04-4_menges.pdf

 

 

 

西側のマスコミの大半も追随、議会の議員たちを

新自由主義革命阻止を目論む「強硬派」と名付け、

議会全体を悪者に仕立て上げた。

 

 

Malclom Gray  ,"After Bloody Monday ," Maclean's ,October 18,1993;

Leyla Boulton  ,"Powers of Persuasion ," Financial Times(London),

November 5,1993

 

 

 

『ニューヨーク・タイムズ』紙のモスクワ支局長

「改革に懐疑的で民主主義に無知であり、

知識人や「民主主義者」を軽蔑するソ連的メンタリティー」

と議員たちを、こき下ろした。

 

 

Sergge Schmemamnn ,"The Fight to Lead Russia ," New York Times,

March 13,1993

 

 

 

『ワシントン・ポスト』紙は、

ロシア議会の議員を「反政府」分子とみなし、政府の一員ではなく、

まるで「侵入者」かのように書いていた。

 

 

Margaret Shapiro and Fred Hiatt ," Troops Move in to Put Down Uprising

After Yeltsin Foes Rampage in Moscow," Washington Post,October 4,1993

https://scholarship.law.upenn.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1324&context=penn_law_review

 

 

 

1993年春、厳しい緊縮財政を求めるIMFの条件を

無視した予算案を議会が提出、全面対決が不可避となる。

 

 

マスコミに全面的支援を受けたエリツィンは、

議会の解散と総選挙の実施について賛否を問う

国民投票を急きょ実行した。

 

 

大した票は集まらなかったが、エリツィンは勝利を宣言、

この投票でロシア国民の支持があると主張した。

 

 

ロシア国内では、この国民投票は自作自演であり

失敗に終わったと広く受け止められていた。

 

 

John Kenneth White and Philip John Davies ,Political Parties and the Collapse

of rhe Old Orders ( Albany: State University of New York Press,1998),109.

 

 

 

憲法に定められた権限を持ち、ロシア国民を守ろうとする議会に

新自由主義革命者たちは、困っていたのである。

 

 

これに対し、またも強力なキャンペーンが展開された。

 

 

ローレンス・サマーズ(当時、米財務長官、

ウォール街から毎年30億円以上もらっていた)

 

「持続的な多国間支援を確保するために、ロシアの改革の勢いを回復させ、

さらに加速させなければならない」

 

 

"Testimony Statement by the Honorable Lawrence H.Summers

Under Secretary for International Affairs U.S,Treasury Department

Before the Committee on Foreign Relations of the U.S Senate,

September 7,1993

https://www.finance.senate.gov/imo/media/doc/hrg103-41.pdf

 

 

 

匿名のIMF職員

約束されていた15億ドルの融資はIMFが「ロシアの改革の逆行に不満」

であるために撤回される予定、とマスコミにリーク。

 


 

ピョートル・アーヴィン(エリツィン政権の元閣僚)

「IMFが予算や金融政策に神経質すぎるほどこだわる一方、

他のすべてに関してまったく皮相的で形式的な態度をとったこと

 

それがああいう事態を招いた少なからぬ原因だった」

(ああいう事態は、以下のようなもの)

 

 

Reddaway and Glinski ,"The Tragedy of Russia's Reforms,294

cover-The-Tragedy-of-Russians-Reforms.jpg

 

 

 

9月21日、IMF職員がリークした翌日に

更なる、新自由主義革命がロシアを襲った。

 

 

大統領令1400号を交付、憲法の停止、議会の解散を発表

二日後、特別議会はエリツイン弾劾の決議を636対2で可決

 

 

アレクサンドル・ルッコイ副大統領

ロシアは既にエリツインと革命者たちに、

「政治的冒険の高い代償を払った」

 

 

Celestine Bohlen ,"Rancor Grows in Russian Parliament ,"

New York Times ,March 28,1993

https://brooklynworks.brooklaw.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1782&context=bjil&httpsredir=1&referer=

 

 

 

憲法裁判所が再度エリツインの行動に、違憲裁定を下したが、

クリントン米大統領は、エリツインを断固支持

米連邦議会は25億ドルの援助を可決

 

 

エリツインは軍隊に議会を包囲させる。

「ホワイトハウス」(議会ビル)の電気や暖房、電話を遮断。

 

 

ボリス・カガルリツキー(モスクワのグローバリゼーション研究所、所長)

 

何千人も押し寄せ、封鎖を破ろうとした。二週間にわたって

警察や軍隊とにらみあう平和的なデモが続き、

 

その結果ホワイトハウスの封鎖が一部破られ、

食料や水を中に運び込むことができた。

 

平和的な抵抗に参加する人は、日を追うごとに増え、

より広い支援を得るようになった」

 

 

 

膠着状態の中、ポーランドで新自由主義革命者たちが

選挙で敗北を喫したというニュースが、飛び込む。

 

 

やるべきことは、決まった。

エリツインは、交渉を放棄、戦闘へ突入した。

 

 

 

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

 

(P316~P320より、抜粋・要約・脚色)

 

やっぱり面白い。

購読することを、お勧めできる一冊。