「どうなってもよかった、どこの国の何人死のうが生きようが

自分を含めて命というのものに、価値があるとは思えなかった」

アニ・レオンハート 進撃の巨人 作者 諫山創

 

 

 

 

 

「国土学」が解き明かす日本の再興 紛争死史観と災害死史観の視点から

 

 

結構、面白い。

さすが、大石先生といった感じ。

 

 

これには、帯がない。

帯に書いてあることが、いい。

 

 

われわれとは何者なのか?

輝く日本を取り戻すには、

 

日本人であることをしっかり認識する

ところから始めるしかない。

 

 

とある。

副題は、紛争死史観と災害死史観から

 

 

MMTは、自分たちをレンズだという。

しかし少々、傲慢である。

 

 

世の中には、様々な視座があり、

それは、すべからく、レンズだとも言える。

 

 

MMTレンズは、人間世界における多種多様なレンズの一つにすぎない。

たくさんのレンズの束が、折り重なって、内在している。

 

 

この本で、大石先生が提示されている史観も

大石先生の著書を読んだり、お話を聞くことで、内在化する。

 

 

つまり、レンズがまた一つ増えたことになる。

レンズを増やすこと、これが人間の知的な営みなのである。

 

 

 

第一部 ユーラシアの「紛争死史観」と日本の「災害死史観」

 

 

第一章 国土学ー世界の「外」に立つ日本

 

国土でも経験と死の受容

日本の国土条件

 

繰り返し起こる集中的災害

紛争死史観と災害死史観

 

繰り返し経験した全員の死

国家に表れた紛争死史観と災害死史観

 

「city」とは何なのか

パリの都市城壁

 

ヨーロッパと中国の秩序感覚

マシュー・ホワイト氏の研究

 

宗教感と虐殺の規模

死の受容

世界の「外」に立つ日本

 

 

第二章 「共」の発見ーヨーロッパ人との分岐点

 

「共」の民

「共」のための個性の発揮

 

駅伝を考える

「個性の強要」が日本人を破壊した

 

キラキラネーム

大陸との距離

 

日本人の土地所有概念

 

 

第二部 世界と異なる日本人の感覚と思考

 

 

第三章 特異な日本人ー世界と異なる感覚と思考

 

特異な日本人

任意の人間関係

 

悲惨な場面を直視できない日本人

譲り合いの日本人

 

統一国家・日本

天皇の存在

 

思考について

危機の想定

 

コロナ対策のための特別措置法

安全保障観念の欠如

 

 

第四章 ルールを変えられない国ー刷り込みに拘束される日本人

 

ルールを変えられない日本人

刷り込みに拘束される日本人

 

建国宣言のある国とない国

過去に優しい日本人(過去に拘束される日本人)

 

「恐れ」が支配する国

メディア情報への依存

 

情報収集は死活問題であるユーラシア人

情報は与えられるものと考える日本人

 

日本学術会議の問題

間違った政府説明

 

 

第五章 日本人の歴史観ー「流される過去」と「積み重なる過去」

 

歴史観の相違

過去が問われない国

 

不思議な歴史教育

広辞苑の問題

 

歴史書の問題

忘れてはならないカーチス・ルメイ

 

 

第六章 言語感覚と日本語の乱れー母語をないがしろにする国は滅ぶ

 

言語発達のメカニズム

言葉の重みを理解しない

 

関心の高さとボキャブラリーの豊富さ

日本語の乱れ

 

政治のデタラメな擁護づかい

カタカナ語の氾濫

 

三文字略語の問題

「エステー」社長の言語感

 

 

第三部 国土学が問う現代日本の危機と再出発への道

 

 

第七章 1995年というターニングポイント

 

① 内閣府世論調査 ② 生産年齢人口ピーク年 ③名目GDPのピーク年

④ デフレ経済の始まり ⑤ 財政危機宣言 ⑥ 不思議な内閣と知事選挙

 

⑦ 阪神・淡路大震災 ⑧ 地下鉄サリン事件 ⑨ 地方分権推進法の制定

⑩ 新自由主義経済学の誕生 ⑪ 小選挙区制の導入 ⑫戦後初の銀行倒産

 

⑬ 国民の貧困化の始まり ⑭ 対日年次改革要望書 ⑮ Windows95

⑯ WTOの創設 ⑰ 非正規雇用の導入 ⑱ クマラスワミ報告書

 

⑲ キラキラネームの急増 ⑳ 大蔵省の不祥事 

㉑ 村上春樹の述懐 ㉒ 出版物の急減

 

 

第八章 誤りの財政破綻論ー日本を破壊する財政再建至上主義

 

日本を破壊している財政再建至上主義

企業統治改革の失敗

 

韓国の後ろ姿

コロナで改めて過去を問う

 

国債の回り方

センメルヴェイス反射

経済学のセンメルヴェイス反射

 

 

第九章 日本の再出発ー国土が育んだ日本人本来の姿

 

先の大戦の敗戦後のリアリズムと観念論

明治人のリアリズムとその急速な喪失

 

政治のリアリティ喪失ー道路で考える

数々の観念論の横行

 

明治人の遺産

日本の再出発

 

 

おわりに

 

 

 

 

大石先生が、おっしゃったことで一番ハッとなったのが、

「日本人は冷たい」ということだった。

 

 

確かに、そうかもしれない。

現代日本人の多くは、道端で倒れている人がいても、素通りするかもしれない。

 

 

重い荷物を持っている高齢者や妊婦も見て見ぬふり

電車の中で、席を譲る行為をあまり見かけない。

 

 

先生がご指摘なさった、目の見えない方、つまり盲人の人を

他者である誰かが助けている場面を、見かけない。

 

 

点字ブロックを丁寧に敷き詰めている歩道は、常にある。

しかし盲人の方を助けている場面は、見たことがない。

 

 

 

信号を渡る際、盲人の方のために、音声で通知されている。

しかし、助けている場面がない。

 

 

おそらく盲人の方を助ける方法も、知らない。

そばにより、腕を差し出し、「捕まってください」と言い

 

 

その方の歩行可能な速度を確認しながら、ゆっくり誘導してあげる。

こういう行為すら分からないのではないだろうか。

 

目が見えなくても 吉田比砂子作 こさかしげる絵 講談社

 

目が見えなくても 吉田比砂子 シミ日焼け強/PDF

 

 

ルイ・ブライユの「目が見えなくても」が

まだ課題図書になっている、これは嬉しい。

 

 

 

先生が提唱なさっている、「紛争死史観と災害死史観」

これも、世界史と日本史を比べると、なるほどと思わされる。

 

 

哲学で、決定的な仕事をした人物も著作もないのは、

おそらくそういうことなのだろう。

 

 

また宮台に見られるように、哲学を理解できる知識人もほぼいない。

ひどい目に合ってホッブズを読んだという。

 

 

ホッブズ説に対する批判、ロック、ヴォルテール、ルソーが

行ったのだが、そこまですらいっていない。

 

 

 

近代哲学で重要なのは、ホッブズ、ルソー、ヘーゲルである。

宮台レベルでは、ルソー、ヘーゲル理解は不可能のように見える。

 

 

宮台は面白いことに、ホッブズと誰かを出して、

いきなりマルクスがー、と言いだしていた。

 

 

ヘーゲル理解は欠かせぬはずだが、それをとばすことに

日本人は、こんなものかなと思わずにはいられなかった。

 

 

 

ポストモダン思想に至っては、もはや何を言っているのか

訳が分からないのだろう。

 

 

形而上学に関しては、触れることさえできない。

日本人がみな宮台レベルではないと思いたいが。

 

 

 

 

大石先生の影響で、マシュー・ホワイトの

「殺戮の世界史」を購入した。

 

殺戮の世界史 マシュー・ホワイト

 

 

とても面白い。

高価だが、結構な頻度で参考文献にできそうだ。