一雨ごとに、寒さが忍び込んでくる時節になった。
この短いひとときは、とても切ない。


街には、とても少ない木々がある。
彼らは、この時期、衣替えをする。


まるで春から夏にかけての、様々な想いを
脱ぎ捨てるように、葉を削いでいく。


葉は、枯葉となって、街を彷徨う。
落ち葉は、風と走り回るが、
街では、どこにも行き場がない。


本来、豊かな土壌を形成してくれるのに、
街では、邪魔者扱い。


アスファルトで覆われた表層では、ただの塵となり、
街の人々は、掃いて集め、ゴミ箱に入れる。


枯葉舞い散るこの時期で、彼らを集める作業をする人々をみるたび、
どう感じているのだろうかと、いつも思ふ。


ほとんどの人々は、うっとしいと思っているのだろうか。

それとも去りゆく季節に、想いを馳せているのだろうか。

それとも、これから到来する冬の支度を考えているのだろうか。


毎年、切ない。


邪魔者なのだろうか、
厄介ものなのだろうか。


街以外では、とても大切なものなのに、
街では、行き場がない。


山本理顕は、家族をとても寂しいと表現した。
寂しい家族が、より集まってできたのが街だから、
その寂しさは、計り知れないほどの量をため込んでいく。


街は、いろいろなものを許さない。
少しでも、厄介であれば、容赦なく切り捨ててゆく。


どんどん切り捨てて、人の出す音、匂いまで、
今まで、当たり前にあったものが、厄介者になる。


音を潜め、匂いを人工的にかき消して、
街も家族も人も、どんどん乾いてゆく。


乾ききった街の人々は、他者に不寛容になる。
ありとあらゆるものが、許せなくなる。


許せなくなり、声高に非難していく。


その行為は、徐々に勢いを増して、
他者の鼓膜を破り、鼻と口を塞ぎ、目を潰す。


そうして生きるのが、街の、人の在り方だといわんばかりに。


まるで、落ち葉をしかめっ面して掃いている人のようだ。


落ち葉は、病み衰えた人に見えて、
しかめっ面をしている人々を切なくなる。


あなたも、落ち葉になるのに、と。


これは、親の愛を知らぬモノの歪みだろうか。


多くの人々に当たり前のようにあるものが、
まったくないモノの、斜面の闇を持つモノの特権だろうか。


家族の寂しさを味わい、愛のなさを嘆き、憂う、ことのない人々が、
街を構成していき、どんどん切なさを増やしていく。


つながりや絆が、どんどん断たれて、人はそのありがたみに気付く。
だから、日本から発信する作品は、そこを題材にしている。


大切なことを忘れてはいませんか、と。