哲学において「身体性」というテーマがある。

ポンティなどに影響を受けた鷲田先生や内田樹などが

テーマにしている。



彼らの影響を受け、身体が覚えこみ、

脳の関与は、ほぼないと結論付けていたのだが、

これは大間違いであった。



例えば、自分は水泳・スキー・野球・サッカーなどの体の動かし方を

刻み込んでいて、格闘技ではボクシングもそう。



水に入れば、勝手に体が動いてくれるし、

スキー板をはけば、自動的に動く。



サッカーボールを持てば、ドリブルで数人を抜き去り、

自分でも、え、と思うようなパスが出せるし、クロスに勝手に反応してくれる。

その他もろもろの技術は、勝手に身に付いた。



特に、ボクシングは習得に相当な苦労をした。

それ以前に経験したことのない体の使い方であって、

基本を習得するのに、一年以上はかかった。



だが、その甲斐あって、自動的に動く。

数え切れぬほど、浸みこませたのだから当然で、

最早、脳の関与はないと思い込んでいた。



しかし、脳の関与なしには成り立たないのである。

そのよい例は、痴呆症になる。



人間の日々の営み、例えば、排せつのような行為ですら、

行えないようになってしまう。



脳のどこかに身体の動きを記録している箇所があり、

その部位が毀損されると、身体は動きを封じられてしまう。

しかもいったん壊れたら最後、もう修復はしない。



現代では、人体実験など到底できないので、

それが脳のどこにあるのかも分かっていない。



それが分かったとしても、記録は失われてしまっているのだがら、

その部分を修復できたとしても、また新たに習得しなければならない。



攻殻機動隊というアニメは、義体をテーマにしていたが、

脳はそのまま放置していた。

脳をテーマにした作品は、これから出てくるのだろう。



脳を無視して身体性だけを論じても意味がないのだということは、

新鮮な驚きであったと同時に、ぐぬぬ、

また一から考えないといけないのかと思い知らされた。