毎年、毎年、子どもが幼くなっている現象を

目の当たりにし、よく考え込む。



家庭の中に浸透してきたさまざまな諸娯楽が、

子どもに影響を与えていることも、一つの要因であるが、

それは、本質的な問題といえるのだろうか。



故高坂先生は、「豊かさの試練」と評された。

これが、自分の中のキーワードになっている。



現代日本は、子どもたちを取り巻く環境が、

かつないほど、豊かになっている。



昔、シックスポケッツツと子どもたちは呼ばれ、

消費能力がとても高いことに、企業は着目した。



本来、子どもは消費能力が高いわけではなく、

むしろ、お金を稼ぐ段階にきていないから、

子どもは、消費の主役ではありえない。



それを取り巻く環境、つまり、両親、そして、

その両親たち、あわせて6つの財布があり、

そこからお金を貰うため、シックスポケッツと称された。



企業は、潤沢な6つの財布を持つ子どもに

目をつけ、その消費能力を高く評価した。



それ以降、子供向けの商品が続々と開発され、

子どもが幼いときは、両親とそれぞれのその両親が、

喜ぶ姿を見たさに、それらの商品を消費した。



子どもが自ら消費したくなる年頃には、

6つの財布から、資金が出て、

子どもたちは、それぞれに応じた消費を行った。


これが、子どもの法外な万能感に繋がった

と見なすのは、現象を大きく見間違っている。



おまけに、その万能感が子どもを変化させ、

学級崩壊など教育現場で起きたことに

結びつけるのは、かなり無理がある。



脱構築的読解にどっぷりと浸かった

ソフィスト的風潮に沿ったものに過ぎない。



源流となったニーチェは、手厳しくこれを

諫めていたのだが・・・・。



現場で最前線で戦っている身であるので、

諏訪哲二などのような元教員、

内田樹などのような学者、

いづれにしろ見解では、どうもしっくりこないでいた。



もっとこの現象をちゃんと見ないといけないと

ずっと考えており、いったんエポケー

(現象学的判断停止)を行い、還元し

本質観取できるときを待っていた。



つまり臆見せず、経験というバイアスを通さず、

ただ現象そのものを受け取り、その都度、

対応してきたのだが、この前、一つ大きなヒントをもらった。



それは、同志社大学の工学部の英語の解説中に

絶えず張っているアンテナに、ピンと触れた。



次回は、その英文から始める。