最近、ニーチェのことばかり考えている。

哲学史の中で、ニーチェは大きく輝いているが、

ニーチェの思考の断片に、振り回されている人々ばかりで、



向こうの世界で、ニーチェは現代の諸思想に

怒り心頭ではないのかとふと思った。



哲学的思索に通じていない人々は、

自分を誤読しても仕方がいないと、

彼は、思っていてくれているだろう。



酷くきつい言葉遣いで、罵った対象は、

キリスト教であって、か弱き羊の群れではない。

でも、叱咤激励の言葉も厳しかった。



彼は近代人の自我の有りようを、問うたのであり、

キリスト教の有りようを徹底的に批判した。



思うに、ニーチェは言葉遣いは悪かったが、

実は、際限のないほど優しい人だと。



でなければ、神殺しまでは行わない。

彼は、知識人たちをこき下ろし、

一般大衆を励まし続けているのである。



マルクス主義を解体したポスト・モダンは、

この偉大なるニーチェを源泉としている。



しかし、ニーチェの思索の根っこに

まったく届いておらず、ニヒリズムの徹底がない。



ニーチェのキリスト教批判は、

つとに知られている。



現代になっても、キリスト教のカトリックの本山、

バチカンは、世界のマネーロンダリングの中心地の一つであり、

毎度の事ながら、黒い噂は絶えない。



黒い噂とは、マフィアなどの地下経済との癒着であり、

実際、さまざまな問題を引き起こしてきたし、

これからも、引き起こし続けるだろう。



竹田青嗣先生によれば、ニーチェの思想は、

以下の、大きな三本柱になる。



第一 キリスト教および近代哲学の

    「真理」と「道徳」概念への批判。



第二 「ヨーロッパのニヒリズム」についての

    根本的洞察。



第三 これまでのすべての「価値の転倒」と

    新しい「価値の創造」の思想。



ニーチェの著作は、難解なので、

いくつもの読解をすることできてしまい、

ワケがわからぬまま、済ませてしまう。



ニーチェに初めてふれる年齢は、

早熟で高校生、だいたいは大学生ぐらいで、

そのぐらいの年頃では、チンプンカプンだ。



ツァラトゥストラなど、観念論をちゃんと

やっていないと絶対に分からない。



でも致し方ないところで、専門家でも

ん・・・という人がほとんどだ。



ニーチェの「超人」と「永遠回帰」の2本柱を

嚥下し、自分の思索に組み込むことは、

すごくたいへんな作業なので、

それをさらに、だれにでも分かるように

簡単に説明することは、もっと難しい。



ニーチェの書き方も悪いので、

仕方がない一面もあるが、

現代思想の専門家が、ニーチェが禁じ手に

したことを、未だに撒き散らしているのは、

あきれ返るばかりだ。



竹田先生の言葉を借りれば、

ニーチェは、羊の浪漫主義から、

狼の浪漫主義へ、と叫んだのだ。



ニーチェは何を禁じ手にしたのか。

どんな道を通るべきと説いたか。

これを無視して、観念論を哲学を語る資格はない。