穏やかで、平和な日本が、今ある。

不況に苦しむ人々も多いけれども、

現状、いたって、平和である。



この平和は、日本人自身の力によって

得られているわけではなく、日本と取り巻く環境と、

現代の世界情勢によって、表象しているに過ぎない。



このかりそめの平和は、とても有難いものだった。

しかし、恒久の平和など、ありはしない。



そのための努力は必要になってくる。

これからは、それがヒシヒシと実感しなければ

ならない世界情勢になってくるだろう。



日本の平和を脅かす危険度が一番高い国は、

やはり支那であろう。



二番目は、米国になると考えられる。

実は、この国が一番厄介な国である。



一番危険度が高い支那は、共産党独裁国家であり、

人間の自由が、まったく担保されていない国である。



自由といっても、2つに大別しておく。

ひとつは、経済的自由であり、

もうひとつは、政治的自由である。



この2つを個人が持てない国家は、

近代国家とは、言えない。



支那も米国も、厳密な意味で

近代国家ではないのである。



とりあえず、われわれ日本人が平和を

希求するにあたって、恐れるべきは、チャイナリスク、

もしくは、チャイナショックになる。



情報に全てバイアスがかけられ、かつ、

あまり情報が出てこない支那に対し、

あれこれ推測して、ずいぶん時が経過した。



個人的な予見では、今年中にチャイナショックは

起こるのが必然だと考えている。



経済がほぼ壊滅に近い支那が、

とるであろう道は、2つしかない。



国内の厳しい共産党腐敗に向けられる視線に

耐えかねて、国外に敵を作り、戦争へと向かう道。



もうひとつは、国内の暴動が抑えきれずに、

一般大衆が暴発し、支那全土が極度の混乱に陥る。



一つ目は、国外の敵として、わが日本が

その標的にならざるをえない。



なぜなら、反日教育をずっと支那共産党が、

大衆に刷り込んできたため、支那の大衆が、

容易に乗っかるからである。



敗戦後、日本に逃げ帰ろうとする日本人を大量虐殺し、

チベット、ウイグル、内モンゴルなどの人々も、

現在進行形で虐殺中の国家である。



15億人の支那人が一億人の日本人を皆殺しに

しようとしてくる可能性がきわめて高いが、

地理的な条件がそれを許さない。



地続きであれば、われわれは既に、

平和を踏みにじられ、虐殺されていたかもしれない。



けれども間には、海がある。

彼らが、戦争しようにも、制空権と制海権を

握らねば、海を渡って、虐殺しに来ることは

物理的に不可能である。



現状、自衛隊はその双方で優位に立っているので、

いざというとき、おそらく大丈夫である。



また、遺憾ながら、米国の軍隊の基地が

日本中に点在しているため、人質になってくれる。



人質という表現であるのは、この番犬様は、

やるときは一般市民でも容赦なく虐殺する。

というか、虐殺しかしたことがない。



局地的な地域紛争が起き、自衛隊によって、

航空兵力、海軍力を叩き潰すことができる。



もし仮にぶちギレて、核の雨を日本中に

降らせれば、日本いる米兵も被害に遭うことになる。



こうなると、米国市民は黙っていない。

番犬様は、アジア人の命など屁とも思っていないのだから、

有り余っている在庫品のいっそうセールを

始めるように考えられる。



支那共産党も地域紛争であっても、

逆にぼろかすにやられるとなると、

共産党員みなごろしの狼煙があがってしまう。



つまり、支那共産党は、対外戦争、特に

わが日本を相手にした場合、

逆に、窮地に追い込まれてしまうのである。



彼らは、軍事的にも、経済的にも、

手詰まりの状況にある。



だから、日本国内のスパイたちに、

指令を出すしかないと考えている。



もう一つ彼らがやっていると思われるのは、

米国内の真自由主義者とタッグを組むことである。



一見、真自由主義とマルクス主義は、

水と油のように見えるかもしれない。



けれども、構造的には、大差はない。



マルクス主義は、共産党員たちが富を独占し、

一般大衆から自由を奪い、支配する。



真自由主義は、上位階層、0.数%が富を独占し、

その富を使って、一般大衆から自由を奪い、支配する。



いづれも、人間の自由の条件を満たさない。

一般大衆をを上記のような構造に馴致させ、

さらにその構造を強化することも忘れない。




非常に奇妙に見えるが、幾何的には、

きれいな相似形をなしている。



私たちの国、日本はとても危機的な状況にあると

知らねばならない。