http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130505-00000079-mai-soci



中坊公平さんが、鬼籍の人になってしまった。

そのことが、ただひたすら悲しい。



中坊さんの著書は、何度も読み、そのたびに泣いた。

もちろん、自分の生徒にも読むように勧めた。



森永ヒ素ミルク事件を担当するとき、

中坊さんの父上が、中坊さんにゆった言葉は見事だった。



「公平、お父ちゃんはな、お前をそんな情けない子どもに

育てた覚えはない。そもそも子どもに対する犯罪に

右も左もあると思うのか。



人様のお役に立とうかという時に、

迷うてお父ちゃんに尋ねる、

そんな情けない子に育てた覚えはない。」



中坊さんが、やっと一人前の弁護士としてやっていける時、

アカ(共産党系か)のレッテルを貼られると、

その先、やっていけないと思って、父親に相談したのだった。



なにせ、大企業と国を相手取っての裁判である。

そんなことをせずとも、十分に豊かにのんきに暮らしていける。



のっぴきならぬ覚悟を求められた中坊さんは、

甘やかして育ててくれた「お父ちゃん」の相談にいき、

はじめて「お父ちゃん」から、厳しい言葉を聞いて、

尋常ならぬ覚悟を決めた。



そこからの中坊さんの働きは、見事なもので、

一軒、一軒、被害者宅を訪ね、徹底した現場主義に基づいた

調査を行って、裁判に望んだ。



森永ヒ素ミルク事件の被害者は、子どもだけではなかった、

それを飲ませた母親たちがもっとも苦しんでいた。



裁判で、彼女たちの置かれた事情や想いを、

中坊さんは、とうとうと述べた。



裁判官は、涙を流すまいと、上を見上げていたという。

このあたりの様子は、中坊さんの本に詳しく書いてある。



お勧めの本は、「中坊公平・私の事件簿」、

「金ではなく鉄として」である。



近年、弁護士はおかしなやつが多くなった。

数を増やしたこともあるだろう。



それ以上に、拝金主義者が多くなったこともあるだろう。

例えば、ハシシタはサラ金や売春の弁護士をしていた。



昔、中坊さんが住専問題に関わった時、

ぜひ、中坊さんにもっと大きな仕事をやってほしいと思ったものだった。



弁護士にろくな奴はいないと思ってしまうご時勢だが、

こんな見事な人がいたのである。



一人の見事な日本人が、いなくなった。

そのことが、とても悲しい。