http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130218/wlf13021811020009-n1.htm



ハシシタの野郎が、桜ノ宮高校の問題にしゃしゃり出て、

無力な現場は、どんどんおかしくなっている。



廊下を自転車で走る

友達をエアガンで撃つ

力の弱い女性教師を押し倒す


こんな事態にどうしたらいいのかと、現場のせんせは、

手をこまねいてしまう。



この程度は、もうすでにありふれた光景になっている。

授業中に、いきなり、サッカーを始める、

注意されると逆ギレ、暴力行為をしなくても、

その授業だけにはでない。



事態は、桜ノ宮よりもずっと以前に始まっていた。

それは、学級崩壊と呼ばれ、衝撃を与えた光景だった。



それらを引き起こした元子どもたちも、

大きくなって(成長したとはいえない)、

子どもを持つ親になってきている。



ウチにきていた子どもの母親の一人に、

公立の幼稚園の園長先生がいた。

教育委員会にも、名を連ねていた。



その人は、幼稚園児の母親を見て、

母親から教育しなおさないといけないというのが口癖だった。



もちろん、そんなことは不可能なので、

事態は悪化の一途を辿るだろうと容易に推測された。



体罰問題が起きるたびに、子どもたちは、

あー、体罰やー、教育委員会に訴えるうー、

などとどんどん知恵をつけていった。

(学ぶ方向が反対だ・・・)



男子の指導は比較的容易なのだが、

困るのは、女子のほうなのである。



秩序や規範をやぶれば、怒鳴りつければ収まるけれど、

それでも収めきれない教員の方々のほうが圧倒的に多く、

かつ、怒鳴りつけることができ、実際、どつける女性教員は、

すごく希少価値があるのである。



やはり、たちの悪い女子をどつくのは、

男性には無理なので、女性教員にやってもらわないと、

学校内の秩序が保てない。



実際、そういう力量のある女性教員を知っているが、

彼女は、すでに女性を捨てている。

女性性を捨てないと、やれない現場なのである。



その先生も、体罰で父兄から騒がれ、

どつくことをやめてしまった。

(父兄がやらないからやってあげているのだ)



その発端は、これまたウチにきていた女子で、

その先生をキレさせ、殴られそうになり、よけて、

そのビンタが、耳に当たってしまった。



当然、空気の逃げ場がないので、

鼓膜は破れる、当たり前の話だ。

でもそれぐらい、ほっとけば治る。



第三者として、双方を見ると、まずその女子が悪い。

いくつかの彼女のおばかな行為を挙げてみよう。



ソフトボール部に所属していて、どへただった。

ファーストでボールをとろうとして、

蹴ってしまい、ライトまで転がっていった。

(そんなどんくさいヤツ見たことない、コントか・・)



ほかにも、バットを素振りしていて、

ほかの女子のどたまに当てた。



キャッチャーのポジションのとき、

ノックをしている先生のバットに、わざわざ前に出て

頭をノックされてしまった。



こんな子を一応、なんとかソフトボールができるように

育て上げたのは、ひとえにその先生の努力の賜物である。



勉強面でいえば、これほどひどい状況は、

初めてと断言できる子どもだった。

まず、人の話を聞くことができないので、

会話が成立しない。



一つのことができるようになっても、

すぐにきれいに拭ったかのように、忘れてしまう。



これを、オール3にした。

やぱ、オレはしゅげーなと自分にホレタ。



ずれた。



この子どもはまだこの先生によって、

社会にでるための準備ができたといっていいだろう。

決して、親がやったのではない。

むしろ、邪魔ばかりしていたと自分には見えた。



今もその先生は頑張っておられているが、

まったくどつかなくなったという。



このような体をはった先生方のおかげで、

善意ある非協力的なみなさまの子どもが、

成長できる環境が、学校なのである。



そのような先生方が、もういい!見捨てる!

社会に出てから、学べや、ボケ!となった場合のことを

想定している人は善意ある皆様の中には、まず見ない。



そんな子どもたちから必死で切り離そうとして

幼いうちから受験がさかんになってしまった。



一部の階層による教育の特権化は、

これまたありふれた光景になっている。



非大衆ー大衆化ー非大衆化、

現在は、ここまで来ているようである。



ただ、復元力も侮れないので、

現場は、そう簡単にはくずれはしない。

だって、人の手によって、なされているのだから。



ただ教育問題を政争の具にしたハシシタの野郎の

最悪の行為に手を貸した「善意あるみなさま」には、

どうか冷静に考えていただきたいと痛切に思う。



学校があってこその近代社会であって、

学校なき、近代社会はありえないのだから。