あそちさんが、竹田先生へのご指摘は、

竹田先生になさるべきものではないかと思われます。



私は、単なる受験屋にすぎず、マルクスの理解は、

極めて通俗的なものであって、私からあなたのコメントへの

返答は、いささか攻撃的になってしまう恐れ、かつ

誤解と無知からくる神学論争になる恐れ、

この2つがあります。



ですから、私としましては、竹田青嗣という哲学者の

哲学を理解していただくには、竹田先生のすべての

書物をお読みになっていただきたいと思います。



そのために欠かせないのは、カント、ヘーゲルなどの

近代哲学者の著作を徹底的に読んでもらわないと

理解が困難になります。



特に、ヘーゲルについては、徹底的に読みほどき、

彼の生きた時代、つまり、ヨーロッパ列強のせめぎあいの中、

国家統一が遅れた当時のドイツの時代背景を思い起こしながら、

再読する必要があります。



彼のプロイセンへの心情的な仮託の前で

妥協と論理矛盾をあらわにしていますが、

それでもなお、ヘーゲル哲学は色褪せていません。



彼の著作には、非常に深い人間洞察が含まれていたり、

「自由の相互承認」(竹田先生な抽出した概念)もあり、

彼の手はとても長いのです。



わたしたちは、すでにヘーゲルがやってくれた大きな仕事、

それぬきには、現代思想が行き詰まって、

隘路に入っている状態から、抜け出せないという現状があり、

それは、マルクス主義、ポストモダン、現象学などの形をとっています。



私自身は、現象学を好んでおり、あなたはマルクス主義、

という異なる場所からの思考を行っているためか、

互いの認識のズレがあります。



これは、哲学上よくある「認識問題」になります。

認識問題については、現象学的還元と本質直観が

必要になりますね。



けれども、あなたにはご興味がないことでしょう。

だから、互いの共通了解が、困難にならざるをえない

ような気がします。



哲学的な世界像という概念をあなたは、

まったくご存じないことから、少々びっくりしました。



私自身も、マルクスを毛嫌いしていたため、

本当に不勉強で恥ずかしい限りです。



ちなみに、私のマルクス主義の理解を述べます。



人類はもともと原始共産社会において「自由」に

生き生きと「労働」していたのに、搾取する側と搾取される側を

分かつ「階級」という仕組みが生まれ、不自由になってしまった。



その階級からくる、階級闘争の歴史的な最終段階である

「資本家階級(ブルジョアジー」vs「労働者階級(プロレタリアート)」

の闘争において、後者が勝利する。



そして、階級制度という障害物を除去する「革命」を

遂行することによって、高度に発展した生産様式を

基盤として「共産主義社会」が再現される。



それにより、人々は再び「自由」になる(解放される)。

ブルジョアジーが支配する資本主義社会の「自由」は偽りであり、

「革命」によってこそ、「真の自由」が実現する。



とまあ、この程度の理解でしかないわけです。

あなたから見れば、お粗末なものでしょう。

悲しいかな、自分はこの程度しか知らないし、

知りたくもなく、それより現代思想の潮流の動向が気になるのです。



大学時代、歴史学を専攻し、階級史観をおぞましく

思っている程度の人間なのです。



他に、数学においては、複素関数、ベクトル解析、

常・偏微分方程式程度の理解しかありません。



物理、化学などはもっと知識は低いです。

所詮、受験屋などその程度なのです。



哲学に関しては、まだまだ学んでいる最中であります。

ですから、上に述べたように、竹田先生が重大な事実誤認を

されておられるならば、お手紙を書いてはどうでしょうか。



たくさんのコメントに対し、きちんと返すことができないので

このような形式をとり申し訳ありません。



マルクス主義者と意見を交換できるような

素晴らしい機会を得ることができ、感謝しております。



ありがとうございます。