今回は、資本主義の可能性と不可能性の問題を考察する。
だが、この現代批判の分岐点は、なんら体系的な学説がない。
柄谷自身も、マルクス論についてもこれを、
重要なのは彼が言説の「間」で、考えたことであって
そこから積極的な体系的学説を見出すべきではない、
といった言い方ではじめている。
マルクスの唯物論とは、ひとつの体系的な哲学というよりも、
観念論と経験論の「視差」において見ることにほかならないと
語っている。
このような「視差」(パララックス)や
「横断的」(トランスバーサル)というモチーフは、
論が進むにつれて後退しほとんど不要のものだ。
しかし、ジジェク(パララックス・ビュー)のように
再生させようとしている人々もいる。
が、体系的ではないものを、角度を変えてみたとて、
時代の要請にこたえるものではない。
マルクスは時代の要請が生み出した批判であって、
当時の時代的な批判思想のパラダイム全体を
包括するものだった。
マルクスが批判したものを取り上げてみる。
フランスでは、「民主主義的代議制」の幻想と
「ブルジョア国家」の欺瞞性(ブリュメール十八日)だった。
イギリスでは、古典経済学の需要供給理論
(市場調整のメカニズム論)や労働価値説の幻想性
(「経済学批判」→「資本論」)だった。
ドイツでは、「あたかも自己や精神が自己産出的に
世界を創造してゆくかのように見える」思弁哲学と
これに対する観念論ー唯物論的な対抗思想
(反ヘーゲル論やフォイエルバッハ論など)だった。
柄谷がいうには、マルクスはイギリスで知った「恐慌」、
この問題を「貨幣」と「商品」という最も自明に
見えるもの着目し、
そこに「神学的」「形而上学的」問題を直感しつつ
徹底的に分析することで解こうとしたのだと。
当時の思想的同時代人は、フォイエルバッハ、
J・S・ミル、プルードン、バクーニン、キルケゴール、
スペンサー、ディルタイ、遅れて、
クロポトキン、ニーチェ、フロイトなどがいた。
マルクスの仕事と彼らに仕事を比べると、
批判哲学、批判思想にとどまらず、
経済学の総体的批判へと踏み出したことは、
彼の思想の射程の深さがよく分かる。
だからこそ、大きな物語と称され、大きな時代的な力をもち、
軒並み知識人たちを魅了したのである。
しかし、現代においては、彼の射程、彼の手は、
時代の要請と握手できることはない。
残滓は残っているが、本質的な原理から外れている。
さて、柄谷行人がこの浩瀚なマルクス論で
果たそうとしている中心のモチーフは、次のようなものになる。
マルクスの経済批判を通じて
再び資本主義の不可能性を”論証”すること。
資本主義の不可能性の先に現われる政治社会の展望を、
国家権力によって中心化されるマルクス主義=社会主義ではなく、
アナーキズムに近い「アソシエーション=
コミュニズム」に定位すること。
柄谷がよってたつのは、やはりマルクスの
経済学批判になる。
『われわれを動かしているのは(略)、
現実的な必要や欲求でもない、
あえていえば、交換あるいは商品形態
そのものに胚胎する形而上学であり神学なのだ。(略)』
(トランスクリティーク)
柄谷がマルクスに即して”論証”していることは、
大きく分けて、以下4つになる。
なぜ、貨幣は、単なる価値の表示として
機能せず、謎めいた性格を示すのか。
なぜ、等価交換であるはずの市場に「剰余価値」が生じるのか。
つまり、なぜ「資本」が可能となるのか。
なぜ、資本主義において「恐慌」が不可避的なのか。
なぜ、「資本」の運動は永続的なものとなるのか。
また、なぜ資本主義は、世界をまきこむ運動になるのか。
次回は、これらの問題に柄谷と竹田先生とともに
追いかけてみる。
例によって、ぱくったのは、
『人間的「自由」の条件』(竹田青嗣・講談社)