先回は、大きくズレてしまった。

中学受験をしない多くの家庭は、

どうしているのかを書くつもりだった。



だから今回は、それを書き出してみる。

自分のというある種、異端者からの

主観で書いている。



子供を持つということ自体が、

今や、難しい経済状態であり、

そういう家庭は、中流なのかなと

思わないでもない。



シックスポケッツの子供たちの親は、

実にさまざまな習い事へ、

行かせることに精を出している。



書道、算盤、スイミング、野球、

サッカー、ダンス、ピアノなど、

もう数え切れない。



これらの選択肢の中から、

2~3ほど選ぶ。



そして、もちろん、お勉強にも

懸命となっている。



元々、ホームベースドであったものを、

現代は、アウトソーシングしてしまっているので、

その部分まで、消費をしている。



塾も、いろいろとある。

ほとんどが、詐欺なのであるが・・。



具体名を挙げていこう。



公文、学研教室、地元の補習塾・進学塾、

大手のフランチャイズや直営、中小の個別指導、

大手の塾・予備校などといった具合である。



今回、改訂された新課程にもちろん、

テキストは、対応されている。

しかし、一つ一つ検証してみよう。



まず、自分の中で、最悪の「公文」から、

見てみよう。



お手軽で、その子にあわせて、

プリント学習なので、多くの親御さんは、

よいと考える傾向にある。



だが、公文方式で学ぶと致命的な欠陥があり、

あっというまに「学び」から去ることになる。



公文でボロボロにされた子供を

預かるたびに、なぜこうなってしまうのか、

この問題を相当、考えさせられた。



突き詰めると、子供の思考能力を

完全に奪ってしまうということに気づいた。



特に、数学(オレは、小学生でそう呼ぶ)の場合、

ほとんどが計算に費やされる。



文章題もやるが、ごく微量である。

それは、文章題を教えると手間隙がかかること、

そして、公文の教え手がそれをできないこと、

この2点から、行えないようである。



計算ももちろん、思考能力を鍛えはする。

しかし、画一的なパターン問題では、

養うことは出来ない。



もっとも酷いと思わされたのは、

出来る子は、プリントがどんどん進み、

小学校で、既に二元一次方程式や、

√計算まで、わけも分からずやらせていることである。



物事には全て段階がある。

例えば、正負の数、文字の式、そして

方程式という順番に行う。

これには、きちんと意味があり、

それに、日本人子弟をうまく導いてきた歴史がある。



要するに、日本の数学教育は非常に良くできており、

順番に丁寧にやれば、誰でもが理解し、

頭が良くなるようになっている。



それを、完全に破壊するシステムが、

公文式とよばれるものであるように思う。



他に、最近、学研教室が多くなってきた。

これは、経済の悪化に伴い、

お手軽に自宅で簡単なお仕事!といううたい文句で、

主婦を勧誘してきたからである。



この学研教室も、興味深く見てきた。

なぜ、これだけの子がこの程度の問題も

できなくなるのだろう、一体どんな魔法なのか、

ワケがわからなかったからである。



かなり能力の高い子でも完全に潰される

危険なにおいがプンプンした。



学研教室が作るプリントを見ると、

あーこりゃ、だめになるわーと痛感した。

あまりに簡単すぎるのである。



確かに誰にでも出来る簡単なお仕事である。

学研のおばちゃんでは、難度の高い問題を

順序良く与えて・・・なんてできはしない。



学力的に、学研のおばちゃんは、

オレが今、念入りに育てている高2に

完璧に負けている。



理系分野は仕方がないとし、

文系分野はどうだろうか。



これも哲学者の端くれとしていわせてもらえば、

センターレベルの文章も読みこなせないようである。



それどころか、中学受験の国語の文章ですら、

怪しいとさえ思われる。



要するに、新課程となってしまった今、

公文と学研に行かせている時点で、

「学び」から、どんどん遠ざかっていると断言できる。



次回も、塾について考察する。