今回は、中学受験できない家庭と

子供について考察する。




かつて、イギリスにおいて、

教育が崩壊した、いや、元々、

大衆に教育をという考えは、

階級社会であるがゆえに、なかったかもしれない。



今はもう、「不信」の構造が、浮かび上がり、

ホームスクリーニングなどといった、

アホくさい状況まで生まれてしまった。



我が日本も、このまま推移してしまうと、

教育の多様化が悪い形で進行し、

もっと状況は、悪化することは確実である。



「ゆとり」が全部悪いとレッテルを貼り、

新課程は、誕生した。



「ゆとり」が導入されたとき、

親の不安は、増大し、子供たちは、

塾通いが、低年齢化してしまった。



しかし、日本人の能力低下の根っこは、

日本語能力の劣化にあるので、

「ゆとり」にしても、なんら意味はなかった。



これは、新課程についても、

ピタリと当てはまる。



現在、新課程に準じて、やっているが、

おいおいと思わされることが非常に多い。



日本人の教育システムというのは、

変えれば変えるほど、おかしくなる

これが、現場の人間の実感だ。



いの一番にやらねばならぬことは、

この数十年、劣化したもの、

つまり、日本語能力を高める、

もっといえば、読書を習慣化することが肝要なのである。



一から考えることが必要なのに、

表層的なことばかりに目がいき、

なんだかちゃちゃと、いじった観が否めない。



次回は、各科目について、気づいたことを

書いてみたい、そこから何かが、

見えてくるのではないかと感じている。