毎年、毎年、現場には、怪物が出る。

まるで、お化け屋敷のようである。



「学び」には、それを行うための準備が必要だ。

その準備のないままに、育てている状況が、

年々、惨くなって、目も当てられない。



本来、家庭で行うべき諸々の「しつけ」は、

どこかに、いってしまった。



いや、そうとも言い切れない。

かつての普通の家庭が、希少種になったのだ。



我々、教え手は「学び」方を教えるものだと

かつては、言われていた。



それはもっともな話であり、

基本的に「学び」は、孤独に自分で行わなければ、

なしえないことだからだ。



日本人の大多数は、基本的に、公立小学校、

公立中学で、学ぶ。



だが、優秀な子供は、親が裕福であることが多く、

中学になると、ごっそり私立にもっていかれてしまう。



その中、今年度は改訂が行われ、

脱ゆとりが、明白な内容になっている。



たいしたことはないレベルであるが、

一般的な家庭の子供にとっては、

たぶんたいへんなことである。



質は高くなり、量が減ったため、

頭がいいやつじゃないと、身につけられない。



つまり、ちゃちゃと頭に入れれるヤツ以外、

人生オワタな、という感じなのである。



ウチの塾なんぞに来てくれるのは、

勝手に、東大、京大にいける子はいない。



その下ですら、どこの塾に行っても、

通るどころか、その前にフェードアウトさせられる

水準の子供たちである。



んで、毎年、これでもかー、といわんばかりの

強烈なのが、やってくる。



もうなんというか、教える以前の問題なのである。

教える引き出しは、おっそろしいほどふえている。



でも、絶対にそれでは対処できないヤツが、

必ず登場するのである。



どーやったらこうなるのか、

常に哲学者として、一から考えている。



それと同時に、一体全体、この日本人の低下は、

どこで止まるのか、底が見えない。

(日本人子弟の劣化の底のことである)



先が見えないことほど、人間にとって、

恐ろしいことこの上ない。

毎年、愕然とし、ここに「壊れ」を見るのである。