ずーっとこの現場で生きてきて、

教育システムや内容を、安易にいじっては

絶対ならないと思う。



いじるためには、大きな理念が必要であるが、

時代として、そこまで大きな要請はない。



かつ、理念が新たに形成されても、

人間の思考を深めていくやり方に、

あまり変わりはない。



ただ、子供の置かれている環境が、

変わってゆくだけで、

教育の本質、「学び方を教える場所としての学校」

これは、変わってはならない。



自分は、塾屋なので、受験用に自分を

作り上げているが、それは常時、変えていかないと

いけない時代になっている。



システムの変化にも、子供の置かれている環境、

あらゆることに対応できなければ、ならない。



が、「学び」の本質から遠のくわけではない。

粘り強く理解へと導き、その時点でできねば、

一時撤退し、のちに理解させる道筋を作る。



そんな地味ではあるが、こつこつ積み上げてゆく、

作業そのものが、受験屋として必要な部分である。



同様に、日本の教育システムも、

大きくは変えてはならないものだと思う。



確かに、変革は必要である。



例えば、英語を重視するあまり、

小学校教育に持ち込んだりする。



これは、現場を全く知らない、

アメリカ帰りが、練った案だと思われる。

(大学の入試問題にそれが顕著だ)



藤原正彦先生がおっしゃるように、

まずは、読み書きそろばん、なのである。



幼児教育のほとんどを家庭が占めていて、

活字による思考形成が、困難な状況ではある。



ケータイ・ネット・ゲームの3点セットの

破壊力はすさまじく、子供の学びへの忍耐力を

根こそぎ奪ってしまう。



これらの3点セットを早くから子供に

与え、子守代わりにしてしまっているが、

こんな時代だからこそ、学校が大切なのである。



活字に頻繁に触れさせ、それによって、

思考を随時、あげていく、それは、

今は、学校でしかできぬ作業である。



ゲーム業界、通信業界は、子供たちを

シックスポケッツ以上を持つ、消費者として、

狙い撃ちにしてきた。



その結果、現場は悲惨なことになっている。

能力あるものだけが、それもきわめつきの、

そんな人しか、勤めることが出来ない状況は、

地域の住人、みなで作り出しているのである。



学校は、変わってはならず、

地域が変わらねば、ならないのである。



将来、わが子が、まっとうな仕事につけない

その恐怖を実感して欲しい。