共同体の基底をなすユニットである家族は、

核家族の誕生以来、急速に変遷しつつある。



大家族という単位では、多人数で構成されるために、

個々人が、だれかがだれかを支え、

だれかがだれかを愛するという図式は、必ずあり、

その中で、孤立し浮いた存在になるケースは少ない。



大家族という単位が消え去ってしまったのは、

本格的な近代社会が日本に浸透し、

個人がエロスを追及し続けることができるように

社会全体の構造が変化したためである。



日本において、核家族の誕生はずいぶん昔になる。

かつて、多産多死であった時代から、

戦後、多産少子になり、多人数の兄弟姉妹が

生き延びれるようになった。



結果、本家を相続する人間以外は、

外に出て、それぞれ結婚をして、

それぞれの単位を作ることになった。



そうした流れにより、戦後、急速に増えた核家族は、

高度経済成長とともに、どんどん豊かになっていった。



そして、今、その形態にかなり変化が生じている。



高度経済成長時代における核家族は、

近未来を楽観的に予測でき、

老後の心配すら、年金というねずみ講で

なきものとなった。



この核家族時代の始まりは、戦中・戦後すぐの世代だと

いえるのだろうと思う。



彼らは、廃墟の中から、復興させたというが、

日本の周辺世界の恩恵を受けただけだといえる。



彼らは総じて、高度経済成長のもたらした利益を

受け取って、幸福な時代を過ごした。



雇用者も、自営業者も、みなに等しく、

この時代にもたらされた富にありつけたのである。



そして、現在、彼らは老後という時間軸にいる。

たっぷり貯めた資産、そして年金、

それで、かなり豪勢に暮らしている。



翻って、現役世代の多くは、薄給にあえぎ、

長時間労働に苦しみ、老後をあきらめている、

人々さえ、多数に上る。



このギャップは、たいへんに大きなものであり、

ここに、現状の日本社会の閉塞感が見えるといえよう。