人間が人間たる存在になってこの方、
家族という一単位は、常に社会の基盤になってきた。
この単位なくしては、人間は生まれいづること叶わない。
この単位のつながりがあってこそ、
共同体は、有機的な形を作ることができる。
しかし、この家族という単位はとても難しい。
普通こうであるとか、そういう当たり前の前提、
そうしたものが、今やない。
人間の共同体の本質、無償で、という行為が、
家族という最小単位で行われなくなると、
個々人は、切り離されてバラバラになり、
冷たい現実に放り出されることになる。
戦前からあった基本的な家族というものの
基本構成ならびに、考え方が、
日本人から失われつつある。
そう現在進行形の形をとっているため、
この不況下では、いわば死屍累々となっている
といっても過言ではないかもしれない。
全面的に崩壊の一途を辿っていないのは、
いまだ、家族内に情緒的共感なり、
無償の愛なりが、残っているからである。
そういうつながりのない人々が、
弱い人から順にデリートされている
そんな弾力性のない共同体の構造になっている。
では、つながりの持たぬ人々が、
どうやってこの冷たい現実を生き抜けばいいのか、
もしくは死ななくてもよいのか、
それを考えてみたいと思う。