ハイテンション社会でも、カーニバル社会でも

ネーミングはなんでもいい。



このような脳に刺激を与え続け、

きわめて悪質な高刺激物を放出する社会と、

われわれはどう向き合うかを考えたい。



一パニック障害者として、脳の機能障害を

わずらってみると、実に刺激が多い環境だと思う。



Tv,ゲーム、ケータイ、など様々なツールが、

人を多忙にして、脳を休めるヒマを与えない。



もちろんこれには、人の孤独さと関連性がある。

現代人は、恐ろしい孤独の中を生きているので、

常に何かと接続していないと気が休まらない。



特に、エネルギーに溢れる人々はそうである。


常に何かと接続しなければという差し迫った思いが、

上記のツールに触れなければならない気持ちに駆り立てられる。



家族と会話したり、友人と会話するといった対話形態も、

もちろん存在するが、それだけでは足りないようである。



現代人に見える、ふとした切なさ、孤独さの影、

相互にクロスする思いが、蜃気楼のような時代において、

我々は、もっともっと接続せよと駆り立てる。



しかし、それはここにきて、人の脳の働きを

過剰にしてしまったように思われる。



過剰に脳を刺激するツールにふれることで、

人の脳に負荷をかけすぎるような気がしている。



例えば、ゲームに熱中して、脳を過剰に

働かせてしまったケースでは、無気力症候群が見られる。



過剰な楽しみが、その人の日常を破壊してしまう。



昼夜逆転の生活が続き、これではいけないと

自分で感知しながらも、なかなか立て直せない。



それは、当然のことで、麻薬と同様に刺激を

味わってしまったのだから、自力で抜け出すことが

できない人や子供たちが後を絶たない。



我々のカラダ、胃、腸などだけではなく、

脳ですら、その耐性に限界があるように思う。



私のパニック・ディスオーダーも、簡単にいえば、

ダムが決壊したのと同じことである。



耐用限界値を超えて、活動を余儀なくさせられた場合、

誤作動を起こし、脳機能障害を起こしてしまうと思われる。