久々に、本を読んで泣いた。
「アメリカ下層教育現場」という本だった。
アメリカという社会の惨さと
そこで生きる子どもたちに涙した。
上位のわずか5%しか、豊かさを享受できないアメリカ。
世界でもっとも豊かと謳われるアメリカ。
その実際は、恐ろしいほどの格差社会ということは、
よく知っていたが、これほど教育格差があるとは、
まったく知らなかった。
わが日本も、現在ピッタリとアメリカの影を追いかけているが、
その行く末が、確かにアメリカの下層社会に見え隠れする。
子どもは親を選べない。
子どもは、選択肢がまったくないのに、生まれながらにして、
ハンデを様々に背負ってしまう。
塾屋をしてきて、何人ものそういう子を見てきた。
自分ももがき苦しみ、若さゆえに間違った対応をしたこともあったであろうが、
自分なりには、最善を尽くしてきたつもりだった。
でも、未だに次第に重圧を増してくる現実に、
冷や汗をかきながら、転げまわりながら、格闘している。
培った経験も、習得した様々な知識も、積み重ねた思考も、
役にたつこともしばしばあるが、状況はつねに変わりゆくので、
まったく役に立たないことも多くある。
なんとかオレがセカンド・チャンスをと思ってやったことも、
まったく現実の前には、歯が立たないことも多い。
でも、やらずにはいられない。
それが、子どもと向き合う者の定めだから。
波止場で見送るためには、船がうまく出港し、
その航海がうまくゆくことを望まない者はいない。
でも、その船が出港すらできないとか、
その船の航海が困難きわまるものだと、
はなから分かっていれば、どうしようもない無力感にさいなまれる。
アメリカでは、実に、5割の教師が辞めてしまうらしい。
理想と現実の狭間に苦しんでのことが、きっと多いことだと思う。
もう日本でも、3割の教師は、なんらかの精神疾患を抱えていて、
モチベーションの低い教師の方が圧倒的に多くなっている。
もう学校は、子どもたちを救える場ではなくなって、
ずいぶん経ち、悲鳴すら上げている。
学校が悲鳴を上げるなら、子どもたちは、より一層病んでゆく。
あまりに社会の底辺に生きる人々は、苦しい。
だからその子どもたちは、もっともっと苦しい。
そしてそれを見守る私たちは、ともすれば折られそうな心を引きずって、
なんとか救いたいその一念が、私たちの足を支えている。
セカンド・チャンス、なんて哀しい言葉であることか、
今夜は、この言葉がリフレインして、頭から離れない。