今日はお仕事を少しする。
そのとき、センセ、独り飯なん、と聞かれてぐっと詰まる。
そりゃ、独りもんじゃけー、一人で飯を毎日くっとる、
と返したが、そういやどのくれーかなとふと過去を振り返る。
離婚後を考えれば、もちろんずーっと独りぼっちで飯を食ってきた。
ケコーン中も、だいたいいつも一人で飯を食っていた。
結婚前は、当然、独りもんの一人暮らしなので、
だいたい飯は、独りぼっちで食うのが当たり前だった。
もっと、さかのぼって、考えてみると、
ほとんどの時間を独りで飯を食ってきたようだ。
その前にまた遡って、ガキのころを振り返ると、
家族と食事をしていた時期もあったが、
そのときは、ボーとしたガキだったから、
遅い食事や味噌汁をこぼしては、どつきまわされていた。
このときは、「食事」それ自体が、自分にとっては恐怖だった。
ここで、うむむ、と唸る。
だって、食事は人の基本であって、
食欲は人の三大欲の一つなはず。
それなのに、ウマイものを食べたい、こんな気持ちがさらさらなくて、
海外旅行をしても、食事はバリ適当だ。
旅行の楽しみの一つは、食事らしいのに。
でも現在は、人と食事をするということがとても新鮮で、
なんだかすごくほっとする気持ちになる。
まぁ、滅多にないことなのだけれど、
違和感があって、懐かしさを伴い、
それでいて新鮮な不思議な思いに駆られる。
食べるということを本質的に好きになれない自分には、
一つ夢がある。
いつの日にか、パカッとお腹を開けて、
食物をざらざらと流し込んで、ハイ、食事終了、
こんなロボットのような食事ができるようになること。
これは、いろんな人に言っても同感してもらえない。
やはり、自分はカナリ変わっているのだと認識する。
これは、幼児期における体験と密接に関わっているのだろうか、
と自分を分析しようとしたが、
独りで本を読みながら、飯を食うのも好きなので、
まぁいいやと軽く考える。
いかんなぁ、これでは鷲田先生の本を読む資格が
ないじゃーないかとまた悩む。゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o