なんの状況といっても別にたいしたことではなくって、

オフクロとバカ姉との子どもをめぐる関係が、

ほんのちょっぴり、改善したのである。


ねえちゃんの上の子どもは、もう小学4年になるが、

いまだにもって、おばあちゃん子なのである。

どこもこんなものかな、よくわからないけれど。


確かにそうなるはずで、姉は潰瘍性大腸炎という

難病になる以前から、手間がかかるために、

しょっちゅう子どもを実家に預けていた。


その間は、どこかに出かけていて、

どこへいってんのかな?

とオレや両親、親戚などが不思議に思っていた。


預け方もナカナカ凄く、夏休みなどは、

22日間などということもあった。


幼い頃は、暴力を含んだ抑圧的な育てられ方をしたので、

その反動がきて、大学時代からは、好き勝手に過ごし、

就職もせず、家でごろごろして暮らしていた。


だから、なんとか結婚できて、子どもを生んでも、

その生活との落差に耐え切れず、

土日には決まって、預けて、子育ての煩わしさから、

なんとか逃れて生きていた。


最近は、潰瘍性大腸炎という難病に罹り、

余計に扱いづらい人になってきた。


この人は、オレでなくては、誰も扱えないのだろうすら

思えてきてしまっている。


自分を責めたりすることを完全に放棄して、

全てを他の人のせいにして生きていけるという

素晴らしい境地に到達したためである。


自己否定の契機となるものをマッタク含まず、

女性は生きていけるのだなと彼女を見ていると

心底凄いと感嘆の念を禁じえない。


でも、職業柄、現代の母親に接することが多いので、

姉ほどではないが、多分に経験的に納得するところはある。



枕が、えらく長くなってしまったが、

その姉が少々方向転換をしてくれたようなのである。


彼女の言い分もいろいろあるけれど、

近くに住んでいて、おばあちゃん子が、

会いにこないわけがない。


ここ最近は、こっそりとやってきていたのである。

それを何食わぬ顔で、姉には知らせなかったのが、

オフクロやチビの悩みになっていたところだった。


今、姉はまた緩解期ではなくなり、下血しているようで、

またもや仕方がないから、ステロイドのお世話になっている。


そんな状況から考えて、知らせることは、

彼女の容態の悪化につながると判断した。


それでここんところ、やっていたのだが、

どうもこれはいけないと結論をだした。


オフクロは孫に会えていいし、チビ(といってもデカイけど)も

大好きなおばあちゃんに会えてハッピーだが、

どうしても姉には嘘をつくことになる。


また、下のチビは、なんでも話してしまうために、

自転車をカナリ遠いところに止めて、

こっそりとばれぬように会いにくるらしい。


でも、その一時は楽しくても、家に帰ってからは、

整合性を整えた嘘を用意しなければならない。


楽しく過ごしても、楽しくない。

そしてなによりも恐れている、平気で嘘をつくタイプの

人間形成をしてしまうことになる。


だから、オレは正直に話をして、オフクロに復讐のつもりで

子どもたちを会わせてやらないという愚挙をなんとか

頑張って話して、やめてもらうことにした。


これは、不可能だと思っていたが、

話が思わぬ方向にいって、そのことにより、

姉は子どものためと、自己ルールを調節した。



そのためには、オレと姉の過去の傷を抉り出す作業が、

必要だったために、自分もその過去に抉られて、

治すのに、何度かの夜を過ごさねばならない。


おそらく、姉も今頃はそうなのかもしれない。


私たちには、真の意味で家族というものは、

無きに等しいものだったのだから。