GWでも塾屋は仕事から解放されることはない。

なぜなら中間テストちゅうやつが、

すぐそこにある危機であるからである。


だから、淡々と授業はこなす。

しかし、なにかにつけGWだからと、

どうも手を抜いてしまう。


なんかこう、自分が許せない。


そんなことより、今年のGWは忙しかった。

前半は、マターリとしたものだったが、

後半は忙しかったような気がする。


こんな仕事をしている身分なので、

昔の教え子がオレなんかと会ってくれるなんて

連絡をくれると妙にいそいそしてしまう。


こっちの立場になると、おそらく一番嬉しいこと

ではないかと思う。

(こんなグダグダなオレに今でも会ってくれるとは!)


それでもって、金曜の夜には、元教え子が

そこそこ集まって、集会?をひらく。


だいたいが社会人になっていて、

仕事に追われ、恐ろしいほど働かされているようである。


つまづいてしまった子も姿を見せてくれて、

感激して、あまり話すことはできなかった。


みんな、ナカナカ世の中の現実の厳しさと

闘っているようで、嬉しいやら、悲しいやら。


それぞれが、それぞれに失望やら絶望と直面して

そこから立ち上がる力強さを感じた。


やはりオレたちは、そうじゃないと、

真の強さが身についていかないのだろう。


でも、若い彼らを見ていると、日本社会の息苦しさを

感じとってしまう。

あまりの息苦しさに窒息しちまいそうだ。(゙ `-´)/


よその畑は良く見えるというやつで、

諸外国も同様なのかな?

ただ、地縁・血縁共同体が機能している

ところではそんなことはないような気がしている。


よくは分からない。

いづこも同じ秋の夕暮れなのだろうか・・・・。