実家にいるとTvがついていて、見させられるが

3/21は、久しぶりに自分でTvを見た。


NHKで、公立学校についての議論をやっていた。

やはり教育の議論は難しい。


議論していくには、調理するものが決まっていないと

議論がかみ合わないものだが、その典型だった。


それぞれが、それぞれに調理したいものがあり、

こりゃ議論するだけ無駄だなと思っていたが、

実際その通りだったように思われる。


もう少し、知的レベルが高い方々を呼べば、

建設的な議論もできたであろうが、

それでは保護者にとって耳の痛い話と

理解の及ばぬ話になってしまうから、不可能であろう。



それにしても、教育改革が、声高に叫ばれる中、

公立学校の先生方はたいへん苦しい状態だと思う。

特に、公立中学は手抜きの人間じゃないと

勤まらないのではないか。


今、教育の現場は、真面目にやるものにとって

地獄となっていると感じている。


先生方は、いくつもの方向に身を引き裂かれている

ような感じがしているだろう。


家庭、文科省、メディア、そして内なる敵、

少しの成功事例を持ち出して、得意げな馬鹿者、

おそらく子どもたち以外は、みな敵に見えているかもしれない。


いや、その子どもたちだって、いつ自分への信頼を

とばしてしまうかもしれない。


今の子どもたちは、言うことを聞いてもらうということが難しく、

相当に駆け引き上手にならないとうまくいかない。


下手をうてば、一瞬で憎しみに変わり、

いくら尽くしても、報われないのが今の現場である。


それぞれの立場のものが、それぞれに違う要求を出し、

その全てに完璧な解を与えなければならないという

リーマン予想を証明するぐらいの世界的な難題を

出題されて、困り果てているようにしか思えない。



現場の苦悩を、塾屋が代弁することが許されるならば、

こんな状況でよく現場を維持できているものだと思う。


確かに、勉強はほったらかしに近いものが

あるかもしれないが、秩序を維持するだけで手一杯だろう。


それ以上を今の公立に求めるほうが、

どうかしているとしか思えない。



なぜならば、日本社会を律していたものが、

失われてしまった現在、社会システム自体が不備の状態にある。


しばらく前まで、なんとか維持していたパイプラインシステムが

いたるところで穴をあけてしまっていて、

水漏れが激しく、世代間闘争に転じる危険性も大きい。


パイプラインシステムとは、学力に応じ、

それぞれの分野に人を送り込むことが、

できていたシステムのことである。


また、社会システムがパイプラインが破綻することで

一部の上位階層以外、機能不全に陥っているならば、

それはもろに家庭を直撃する。


そして家庭の側は、かつて持っていた弱者救済の

ネットワークシステムを、一部のもの以外、

もはや持っていない。


さすれば、家庭がネットワークシステムに

守られなくなってしまった状況下において、

どこへその破綻は波及するのかといえば、

学校という場所へなすりつけてしまった

というのが実態であると思う。



能力があるとか、ないとか、

もはや状況はそんな問題ではなく、

オレ様化している子どもや親に対し、

どういう風に変化すれば対応できるというのだろうか。


教師は、スーパーマンでもなく、

様々な人生経験豊富な人でもなく、

一芸に秀でている人でもなく、

いろんな苦難の道を歩んだ人でもない。

ごく普通のひとたちである。


その人たちに秩序の維持以外、

今の状況でなにができるというのだろうか。


学校という場、そして懸命な教師の方々は、

もはや四面楚歌の状態かもしれない。

大体は、手抜きの人たちと、オレ様化している人たちで

教師の方々は、構成されているのかもしれないが。



番組には、ウチの近くの西宮市のとなりの尼崎市の

公立中学の先生方が、出演されておられた。


尼崎ならば、さぞやごくろうなさっておられることだろうと

見ているほうもたいへん苦しかった。

先生方の表情も、心なしか苦悶の表情に見て取れたのは、

自分だけだろうか。


そう言えば、先生方の中学の近くには、高校生向けは

ビデオ学習という詐欺で稼いでいる塾がある。

甲子園学習塾という名前である。


ここはむちゃくちゃもいいところで、中学生に合宿といって

一泊二日¥75000というツアーまでやってのけた。


そのうちの¥5000はお菓子代という話である。

こりゃ詐欺というより、盗人同然である。


ビデオ学習も相当に出来る奴や、自宅学習できる奴、

という限られた子どもになら有効かもしれないが、

高校レベル、特に、物理や数学や化学が

自らの手を動かさず頭に入るわけがない。


英語も当然そうであり、今やその前の日本語能力から

高めていかなければうまくいかない。


もう塾なんて、オレから言わせれば、

どこも無茶苦茶だといっていい。


一握りの出来るのもの以外、いや、それもカナリの程度、

家庭の側がカバーをしてなりたっているのだが、

これが実のところ、ほとんどの家庭で機能していない。


もっとメンタルなところから、掘り起こしていかないと、

まずは学ぶという作業にはいることはできなくなっているからだ。


だから、いちいち介入しては、子どもたちが直面している

難題と直面していかないとどうしようもない。



中学受験に関しては、一種の宗教じみているので

気持ちが悪くて、書く気になれない。




とりあえず、塾屋から言わせてもらうと、塾の講師たちは

授業のための準備や、行く前にお茶を飲んでいると

必ずしていることがある。


それは、子どもと親の悪口である。

お昼に出勤してきて、ずーっとぺちゃくちゃ悪口ばかり言っている。


保護者たちに聞かせたい気持ちである。

こんな人々に金を払って、勉強を習っているのである。


しかも、大して学力はないし、努力もしない、

教え方もひどいものが、ほとんどだと断言できる。

だって、向上させようという意思がない人々で

構成されているのだから。


塾名は出せないが、尼崎に出店?した塾では、

やはり尼崎は、子どもも親も質が低いとか、

頭が悪い、生活レベルが低いから、とか

もうびっくりするようなことを放言してはばからない。


そして彼らは、素晴らしいことに自分のことは

棚に上げて非難できるのである。

彼らの授業力は、ひどいもので、

到底、お金をもらってできうるようなものではなかった。


だから塾では、授業中に子どもたちが携帯をいじり、

携帯ゲームに熱中するという塾崩壊も起きている。

当然、宿題なんて出すことのほうがまれだったりする。


ゆとり教育のおかげで、内容は格段に減らし、

素晴らしいほどに手抜きで、子どもを騙すことに成功している。


いや、今はカナリの塾で起きていると思われるし、

個別指導という詐欺の形式なら、

それがごくありふれた風景になっている。


大学生に勉強を学ぶというのも間違っていて、

有名大学の学生ならばいいじゃないかと思われるかもしれないが、

彼らには、ナゼこんなものがわからないのかが分からない、とか

どこから戻れば理解してもらえるかが分かってはいないから、

優秀な子ども以外、教えようがないのが実情である。


人は基本的に自分の理解できうる範囲の人にしか、

ものを教えるということは不可能なのである。


だから、人間性の生の実存と向き合うことで、

現実のいまある子どもたちと作り上げるしかない。




また、大手の塾ならば、小学生の宿題を見る人と、

授業を行なう人が別であるという驚くべき

形式をとっているようである。


宿題を自ら、目にしないで、どうやって子どもの理解を

推し量れるというのか摩訶不思議である。


ちなみにこんなことをやって、

一握りの出来る子を除き、騙し続けているのは、

アップ教育企画という西宮を根城にしているところである。


いままで、たくさんの子どもが潰されてきているのを

見聞きしている、友人から聞いたものが多いが。


教育を市場原理にまかせると、

大抵の子ども、9割以上は、うまくいかない。



だから、学校の先生方も苦しまなくていいと思う。

競争原理導入などとばかげたことを、

のたまうアホは相手にしなくていい。

今、目の前で、繰り広げられるものとだけ戦えばいい。


そして百マス計算でほざくバカ、

校長が指導力を発揮すれば、

公立が立ち直るというバカ、

こんな奴らは、真のアホなので気にしないでいいと思う。



こいつらは、まずは児童養護施設で十年ほど働かせて

それから、意見を述べるといい。

そこでなら、生の実存が分かるかもしれない。


と同時に、もう少し哲学書にあたったり、

現在の教育危機についての本を読んでみないといけない。




とりあえず、またもや自分のことは棚に上げておくか。(゙ `-´)/