ここ数年の日本社会の激変を考えている。

労働問題とそれにリンクする家庭の問題をである。


私たちは、カナリ厳しい局面に立たされている。

政治的にはとても無力だし、

マスメディアもどちらかといえば、

偏りがちで、市民の側についていないような気がする。


特に労働環境は、底割れしたような状態で、

労働者にとっては生き地獄のような感じがする。


手元に欧米諸国と日本の超過勤務に従事する割合を

示したグラフがある。


それを参考にすれば、

             1987 2000


オランダ       2.5% 1.4%

スウェーデン 1.6% 1.9%

オーストリア 2.9% 2.7%

ベルギー 2.0% 3.8%

イタリア 2.4% 4.2%

フィンランド       2.3% 4.5%

デンマーク 3.7% 5.1%

ドイツ 5.0% 5.3%

ポルトガル 4.3% 5.3%

フランス 5.9% 5.7%

スペイン 5.4% 5.8%

アイルランド 7.9% 6.2%

イギリス 13.2% 15.5%

オーストラリア 15.3% 20.0%

アメリカ 15.4% 20.0%

ニュージーランド 18.0% 21.3%


日本 26.8% 28.1%



諸外国に比して、めちゃ高いが、

実はこれは、事業所調査であるために

割増賃金が支払われていない違法労働は、

このデータに入っていない。


つまりサービス残業抜きでこの数値なのである。


柱状グラフを作れないので見にくいが、

欧米諸国に比べ、とても労働時間が長いことが分かる。


とてもハードな働き方ができる人だけが、

生き残れる社会を形成してしまっていると言える。


また、日本の非正規雇用は、本人自身の責任と

片付けられない側面のほうが多いのに、

それに手をつけてもらえるのはまだまだのようである。


そんな厳しい中で、個人はなんとか一日一日を

生き延びている。


その儚さを見てしまう場所がある。


個人ではどうしようもない、

そして身内の繋がりは断裂ぎみ、

そんな日本人が、癒しを求める場所の一つが

パチンコ屋さんである。


厳しい自己責任を振りかざされ、

鬱屈したストレスのはけ口になっている。


そこでは、うまくいけば、「ラッキー」が

手に入る。


しかし、おそらくはみんな心の奥底で分かっている。

そこで得られる「ラッキー」は、『ハッピー』ではない。


ハッピーは生活や苦しみを乗り越えたときに得られる

しみじみとした幸福感である。


それは、常にかたわらにいてくれる。

思い出す自己が、自分を幸福にしてくれる。

何も過去は、苦い思い出ばかりではないのである。


それに引き換え、ラッキーはその場かぎりで消費され、

まったく後に残らない幸福である。


せつないほど、はかなく消えてしまう泡のようなものである。



それなのに、その一時的なものにさえ、

すがりつきたいような、そんなひとびとを

あの場所に見てしまうのは私だけだろうか。