山本理顕の破産都市を読んで、

最近の都市事情を考えてみる。

(関西、それも大阪限定)


失われた10年と呼ばれた不況を乗り越え、

好景気を新聞各紙は伝えているが、

中国特需や企業のキャッシュフローの潤沢さだけではなく

不動産の活性化も一因となっている。


好景気と呼ばれることに異論があるが、

それは置いておく。


ゼロ金利政策により、低金利の住宅ローンが

貸し手にとっておいしい商売となり、

また、地価の下落がここ最近のマンション需要を

引き出している。


マンションディベロッパーは去年までかなり活発に動いて

家賃より安いとのうたい文句で、たくさんつくり

たくさん売ってきた。


それもやりすぎの観もあり、そのうちかなり価格を

押し下げることになると思うが。

いや、もうなっているかな。


その分譲マンションも都心部の利便性のよいものが

人気である、価格を重視しないならば。


これは、都市部の地価が下がり、商業用物件と比べて

住宅物件のほうが、利益が出ると市場が評価したから

だと思われる。


それにより、都市環境はじわりと変わりつつある。


利便性を求め、上位中流階層は郊外の住宅を購入する

代わりに、都市部の景観のよさを伴ったマンションを

住宅に選ぶようになったのかもしれない。


そうであれば、住むという停滞性と都市という流動性とが

混在することになる。


こうしたモザイクが、また都市を変化させていくことだろう。

それにより、別の形の都市というものが現れることになると

思われる。





一方、価格重視のマンション選びをした人々は

通勤圏内で都心より離れた地域で購入することになった。


例えば、西宮市の工場跡地や沿岸地域にマンションを

次々に作り、売りさばいていった。


購入者は、だいたい子育て世代であるので

その周辺は、様変わりした。


工場が廃れてしまった、さびしい地域が

ファミリーで満たされ、子供たちが走り回る環境になった。


近くの小学校は、満員で、急遽プレハブ校舎を作って

生徒数の増大に対応してきた。



この現象も日本の行政が、住環境に無関心で無頓着だと

思わされる。あまりに厳密であれとは言わないが、

中流階層の市民たちの住環境にもう少し配慮を

求めたいところである。



都市の流動性と住環境の停滞性を考え、

都市のグランドデザインを構想しているものが、

皆無なのだろうか。




自分は都市部の高層マンションに住む人々を

どうやら彼らはラピュタ人になりたいのかもしれないと

思うようになった。


ふわりと都市の上空に浮かぶ彼らの住む世界は、

自分たちだけの社会階層を営みにかかっている

ような気がする。


これは、この国のエリートたち(富裕層?)に思いを

めぐらすことになる。


東京の空にぽっかりと浮かぶ社会階層、

彼らはこの国の中産階級をいかに下に落とすか、

そればかり思案している姿が浮かぶ。


下に落としてしまえば、君臨し、命令するだけ。


いつかの日か、知性を磨く必要もなく、

徳をつむ必要もなくなる日を待ち望んでいるの

かもしれない。





だいぶ、ズレてしまった。

ぱくった本は、

「住居論」(山本理顕・平凡社ライブラリー)


「ガリバー旅行記」(ジョナサン・スイフト・岩波文庫)

第三部より