私にとっての名演奏は「映像(風景)が浮かぶ事」に尽きる。それが浮かばないと困るのは私が鉄板音楽素人だからでこの小節のレガートが~などと解説されても「はあ、それで?」になる。まあ耳だけが頼りで独断と偏見と妄想しかないんですよ。それを理解してるのかバーカでーと放置してくださってるのかは不明でも有難い限り。その調子でGO!
楽曲は、ストラヴィンスキーだと余裕で死ねる(「春の祭典」参照)がショスターコヴィッチは死なずに済む。ちなみにショスタコ先生は交響曲「9」の呪いを打ち破った人でもあるらしい。曲調は昏いのが多いし馴染みも薄かろうか好きな作曲家は好きだの偏愛でさらに前進GO aead!
ショスターコヴィッチ「交響曲第5番」。私の好きなmionrでmollで短調。「革命」の副題が付いているんで「ああアレね」な人も多かろう。バーンスタイン氏は合わなかった。力入り過ぎってゆうの?よう分からんけどあの人やっぱアメリカンだな。血が訴えるものはあるんだが余談長過ぎささっと行けボケが。
第1楽章。オープニングのチェロにヒステリックなヴァイオリンが交互に連なり寒々しく暗雲を抱いた地平線と水平線が曖昧な空間が一気に広がる。これは何処だろう。夢を見る間もなく狂気を徐々に含んでくる暗い瞳の奥。届かない悲痛が行き場を失い彷徨う。血の臭い凍った大地に滴る血だけ凍らず生々しく温かい。心が躍り足は力強く大地を踏む。それは汗と体臭に塗れた命の野蛮な香りを放っている。黒い鳥が気味悪く朝(とき)を告げ太陽を覆い隠して飛び去る。やがて来る夜明けは変わらないが艶感のあるヴァイオリンのたおやかな音色に隠し波瀾を喉の奥で鳴らしている。
第2楽章。コントラバスが深い森を揺さぶる。小刻みな旋律はエキゾチックでありながら黒い森の條々を風になって揺らす。木々が揺れながら径にできる陰影は目まぐるしく入れ替わり命の息吹を膨らませながらヴァイオリンと菅との交互の呼びかけ合いから不吉な予感に落ちて行く。ピチカートが小動物の小さな目をきらめかせ狭い歩数で逃亡する小さな小さな背中になる。
第3楽章。日の入りと日の出は同じようで似ていない。日の出は今日の始まり明日の希望かもしれないがこの日の出が照らし出すのは絶望でしかない。銃剣に貫かれ裂かれた肉と虚空を見つめる空の蒼を映した動かない眼。胸に潜ませた十字架は無事を祈る家族の声それは誰も知らない密かな光。冷気が乳白色となって大地と動かない肉体を緩やかに包み込む。哀しみと優しさの交錯。凍える星の滴が墓標になって彼らを慰めるのか。
第4楽章。「革命」のクライマックス。強い金管と弦が緊張したまま顔を背ける。そのメロディは対比し謳う。蹂躙の足音が無彩色の大地に不協和音を奏で続ける。銅鑼や太鼓が鳴り足音を高揚させその足跡にまた別の足跡が重なり血がほとばしる。薄れ行く意識の向こうに見えるのは懐かしい風景でも家族でもなくただただ広がる灰色の空。祈りも憎しみも何もかもを黙って見つめる空と我が身から溢れる血。
ショスターコヴィッチは燃えるようで冷たく冷酷なようで温かい風やきらめく朝露がこぼれるような音楽を作る。ドイツ・オーストリア系作曲家より気難しいイメージがありそんな所もあるけど天と地の広がりだけは存分に味わえる稀有な作曲家。叙情性は薄いんですがムラヴィンスキー氏&レニングラード・フィルなら性格俳優的名演奏を堪能できるじゃろ。
