ฅ(ↀㅅↀˆ) テレビ通販生活
ということでお菓子特集である!
源氏パイはお馴染みでしょうが・・・
(パッケージが破れててごめんなさい)
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↓ドラムロール音を頭の中でどうぞ♪
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↓ドラムロール音を頭の中でどうぞ♪
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平家パイをご存知だろうか!!!
どうだ!
という感じで紹介しましたが、
「はっ?そんなん知ってますけど」
と言われると私がとっても恥ずかしいうえに
ここで話しが終わってしまうので、
知っていても驚くのが、大人としての
礼儀だと思うのです。
しかし、源氏パイなら平氏パイ、
平家パイなら源家パイに統一すべきと思うのだが
いかがでしょうか。
そもそも、氏と家とは何なの?
元々、源氏も平氏も皇族でその身分を離れ、
姓を与えられた臣下なのである。
これを臣籍降下という。
彼らは生活の為に武士や文官(役人)になった。
氏と家の違いを簡潔に書くと
「氏」は世帯主と血縁関係にある集団。
「家」は世帯主と配偶者、家来なども含めて共同生活
をしている集団。
つまり、平氏という氏集団を中心として形成された
家集団を平家と呼ぶ。
平清盛が権力を持つようになると清盛を中心に形成された
家集団が平家と呼ばれるようになったそうです。
菓子名で氏と家が統一されていないのは。
何より、商品名としての読みの問題が一番でしょう。
平氏パイより平家パイ、
源家(げんけ)パイより源氏パイの方がしっくりきますね。
こちら11枚入りの大軍バージョン。
源氏パイにも大軍バージョンがあります。
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隆盛を誇った平清盛が御菓子司に作らせたのが
平家パイである。
「平家パイにあらずんば菓子にあらず」
と言ったのは平清盛ではなく、平時忠の言葉である。
一方、伊豆に流刑となっていた源頼朝。
その見張り役であった平家の血筋であった北条時政。
なんと、頼朝と北条時政の娘、政子がFall in love。
当初は結婚に大反対した時政であったが、結婚を
許して、源氏の後援者となる。
そして、頼朝と政子が御菓子司に作らせた菓子が
「源氏パイ」なのである。
結婚した二人はその形をハート型にして永遠の愛を
誓ったのであった。
これが坂東(関東)武士の中で大人気となる。
源頼朝が平家を滅ぼし、1185年には鎌倉幕府成立。
(いい菓子作ろう鎌倉幕府)と覚えた人もいるだろう。
いないって、語呂合わせにもなってないヽ(´o`;
その為、平家パイはその勢力が衰えた。
諸説あり
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ということで・・・ってどういうこと?
源氏パイは定番として店頭で見かけますが、
平家パイはたまに姿を現すだけなのです。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
ちなみに三立製菓株式会社のHPを閲覧しても
平家パイはなかなか見つからないのである。
上が源氏パイ、下が平家パイ。
平家パイの中央にあるのは洋酒漬けレーズン。
個人的には平家パイが好み。
では、他のお菓子を紹介していきます。
満月ポン。
多分、関西圏から西で有名なお菓子・・・
だと思う。
素朴なお菓子です。
裏面。原材料がシンプル。
安心して食べられるお菓子である。
ちなみに松岡製菓のお菓子が製造されている所、
外観は普通の民家である!
製造者の松岡力王丸はもちろん本名だ。
昔の記憶で曖昧なので、記憶違いがあるかも
知れないので、ご了承頂きたい。
パッケージから製造者の箇所が消えたか、
別の人の名前になった時があった。
するとゴンチチのチチ松村さんの方だと思うのですが、
力王丸という名前がないと力が出ないよ~と
アンパンマンみたいなメッセージを送り、
また、松岡力王丸の名が復活したそうな。
ボートレースに「満月ポン・力王丸カップ」
というのがあったのは会社がボートレース場のある
大阪市住之江区にあるからでしょう。
とんがりコーン バーモントカレー味。
これをご飯にかけて食べたらインド人もびっくり。
お魚系スナック。ダイソーで販売しています。
SABACHI(サバチ)、さばのスナック、いわしのスナック。
これは食べてもポテチより罪悪感は少ない。
家族には不評でした(^-^;
汗だくでもつゆだくでもない。
ハッピーターン 粉だく。
袋を閉めることができるやみつきストッパー付き。
正直、やみつきにはならなかったが。
トリはこちら。
伝説にして神話のお菓子。
あたり前田のクラッカー。
何気に見つけて、伝説が売っていると驚いた。
ググると色んな所で売っていた(^-^;
まぁ、関心がなかっただけということか。
これも関西圏から西でよく見かけるお菓子なのかな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさて、ここから、前回の続き。
「ブキウギとシズ子さん」 ※敬称略
史実では
昭和13年(1938年)1月に八郎が入営。
八郎はシズ子に「生きて帰れるかとうか分からん。
僕にかわって家のことはあんじょう頼みまっせ」と伝えた。
昭和13年(1938年)にシズ子は東京の松竹楽劇団へ。
昭和14年(1939年)母うめが胃癌と心臓病で亡くなる。
シズ子、三軒茶屋の借家の一軒家で父と暮す。
昭和16年(1941年)八郎が現在のベトナム沖で戦死。
実は笠置シズ子の歌に「大空の弟」という歌がある。
作詞 村雨まさを(服部良一の別名義) 作曲 服部良一
シズ子が戦死した弟を想って歌った曲だ。
彼女が歌った唯一の軍歌だと言われている。
が、音源も楽譜も残っておらず長らく、幻の曲と
なっていた。
しかし、2019年の
「SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE~
ハイヒールとつけまつげ~」
笠置シズ子を主人公とした舞台の制作中に服部家の所蔵庫
から楽譜が発見されたのだ。
シズ子を演じた神野美香がこの曲を歌っている。
ということはブキウギでもこの歌が歌われるのだろうか。
詞は戦地の弟とシズ子の書簡を元に作られた
ミュージカル調の楽曲らしいのだが。
軍歌とも書いてあるし、冒頭の詩が
「かねてより、アジアを苦しめた、青い目をした、
ヤンキーども」
って感じなのであるが・・・。
前記事で書き忘れたところ、
松竹の勧めもあり、独立して「笠置シヅ子とその楽団」
を結成するが。マネージャーが金を着服して逃げた
というエピソードがある。
戦後には美空ひばりがシズ子の歌真似で注目を集める。
やがて、美空ひばり(というか子供なので周りの大人か)
とシズ子の間で確執が生じるのだが、ブキウギでは
美空ひばりのモデルとなる人は出てくるのだろうか。
ひばりのアンコール娘より-美空ひばり/東京ブギウギ。
※他のサイトでの再生はできない設定になっています
のでここでは再生できません。
リンクを貼っておきます。
寒いので暖かくしてにゃ