「私の中のあなた」(my sister's keeper) | 精巣腫瘍治療記+α

精巣腫瘍治療記+α

2009年末、21歳で精巣腫瘍に罹患。一度は転移なしとなったものの翌年再発し5月から化学療法。患者であると同時に薬学生でもあるので、患者側と医療側双方の視点でこの病気と向き合っていければと思います。また自分の病気とは関係ない勉強、研究、趣味の話もちらほら。

※以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。



突然、むしょうに映画が観たくなったのでTSUTAYAで借りてきた。
4本で1000円とか言うセールをしてたので、4本借りたうちの第1弾。
王様のブランチで紹介していたので、気になっていた作品ではあった。
3/1未明に視聴(笑)


私の中のあなた [DVD]/キャメロン・ディアス,アビゲイル・ブレスリン,アレック・ボールドウィン



アナは遺伝子操作によって生まれてきた子供であり、白血病を患う姉・ケイトと同じHLA抗原を持つ。
つまり、彼女は姉を病から救うために両親によって「創られた」子供であった。
事実、彼女は幼いころからケイトに骨髄などを幾度にもわたり提供していたが、
それにもかかわらずケイトの容体は悪化、さらに腎機能の低下がみられた。
周囲が、そしてケイト本人までもが残された時間の短さを感じる中で、
母親だけは治療を諦めることをせず、アナの腎臓をケイトに移植しようとするが…。
アナは「私の身体は私のもの」と、腎臓の提供を拒否、弁護士を雇い母親を法廷で訴える。
「移植をしなければケイトは死んでしまう」と母。アナもそれは十分わかっていた。
そして、彼女は姉を心から愛していた。それなのに裁判を起こした理由とは…?



答なんて無い問いなのだとは思います。
重い病にかかり死に直面した人に対して、特に身近な人に対して、何をするのが最良か。
1分でも1秒でも命の時間を延ばすことが大事なのか、そうでないのか。
…自分は大学に入ってから祖父と伯母を亡くしましたが、正直言って、
亡くなる直前まで一緒にいたというわけでもなし、それどころか、
年齢が上がるにつれて疎遠になっていたというのが本当のところです。
だから、本当に身近な人を亡くした経験というのは、ないと言えばない。
特に、死を見たことはあっても、死の直前を見たことはありませんでした。
だから、そんな自分がこういうテーマに軽々しく口出しできるようなものではないかもしれないけど、
今更ながら思うのは、死を目の前に見据えた時に、患者が求めるのは、命、ではないのかもしれない。
有り体にいえばQOLとか、遺された人たちのためになることとか。

というより、当然ながらそれは人それぞれなのだ、と。



印象的なシーンが1つあって。
結果だけ言ってしまうと、ケイトは最終的に死んでしまいます。
でもケイトはそれを受け止めて、覚悟をする努力をして、家族に伝えたいことを伝えて逝きます。
家族も、それを受け止めます。ずっと生きるための手術や治療をやってきたけど、それをやめます。
ところが、最期の晩、ケイトの病室には家族のほかに親戚が集まって、各々が
「〇〇したら癌が治ったという人の話を聞いたことがある」
「科学や薬が全てじゃないんだ」
「少しでも長く生きなきゃだめだよ」
とケイトに伝え、もっと頑張れ、と、彼女を励まします。

既に覚悟を決めたケイトや家族にとって、これらの言葉は辛く、苛立たしいものでしょう。
笑顔でこれらの言葉に応じるケイトとは裏腹に、複雑な表情の家族たち。
観ている自分としても、なんて野暮なことをするんだろう、と思いました。

でも、
その親戚たちは、きっと、僕らの普通の姿なのじゃないかな、と感じました。
薬の効き目なし。移植が必要だけどできない。免疫力は低下。体力も限界。
そんな人を前にしたら、きっと、自分だって同じようなことを言うと思うんです。
奇跡に、頼ろうとすると思うんです。

この作品には、何一つ奇跡は出てきません。
たしかに子供が親を訴えるという状況やその背景は特異かも知れないけど、
起こる出来事には特別なことは何もなかった。起こるべくして起きたことばかり。
それに加え、役者の自然体な演技(全てのセリフがアドリブなのじゃないかと思わせるほどだった)、
雑多ともいえる形で散りばめられた色んなエピソード、カメラの構図、などからは、
この話がノンフィクションなのじゃないかと、…あるいは、むしろ、ある家族に起こった出来事を
ホームビデオで撮影してそのまま上映しているんじゃないか、とさえ感じました。

リアルです。
実際にあった事として、あるいは実際にこれから自分に起こりうる事として観られる。
(本当にノンフィクションなのかどうかは分かりませんが…。)



上にもちょっと書きましたが、各所で細々したことが雑多に描かれています。
たとえばてんかん。たとえば失語症。たとえば夜遅くに帰宅したこと。
これらはすべて、少なくとも自分には話の流れ上そこまで重要とは思えなくて、
むしろ無い方がストーリーも伝わりやすいのでは、と思ったけど、
そういう細かいところはスルーして観たほうが良い映画だと思います。



繰り返しですが、自分は身近な人の死にちゃんと向き合った経験がまだありません。
だから実感として分かってない部分は絶対あるし、
こういう映画の主題についてどうこう言える立場じゃないかもしれないけれど、
それでもあえて、お勧めだと言いたいです。

ケイトの作ったアルバムはすごい。
言葉で明示されていないメッセージも伝わってきて、ポーズをかけてでも全部ちゃんと見るべきだと思いました。