「うんこ漏らしたことないやつがうんこの話するなよw」今から2年ほど前に言われた言葉だ。当時若輩者であった私はうんこを漏らしたことでマウントを取る彼らが理解できず鼻で笑ったものだ。
そして現在、私は彼らへの敬意を込めて文字を綴っている。事件は友人の家から駅へと向かう際に起きた。尋常じゃない腹痛が私を襲ったのだ。しかし私は生来の腹下シスト(はらくだしすと)、幾度となくこの程度の戦いは切り抜けてきた。駅までは保つ。弘法にも筆の誤り。猿も木から落ちる。河童の川流れ。私は失敗した。3度のピークを超え駅への入口が見えた時だった。4度目のピークを迎えた。未だかつて経験したことの無い波だった。気がついた時は私は駆けていた。ゆっくり歩を進めるより走る方が最適解だと感じたのだ。肛門が逝くのが先か楽園へたどり着くのが先か。ホームへの階段を駆け、左に曲がった時だった。死角から通行人が現れた。事故だった。トイレが近づき油断していた肛門は開放され、絶望が放出された。なぜ人はうんこをするのだろうか。固体の排泄物出す方法だったら口からとか鼻からとか色々あっただろ。なんなら肛門がカタツムリのように頭付近にあってもいい。首から上に肛門があればいざって時に服を汚すことも無くゲロを吐くときのような感覚でうんこができた筈だ。漏らすことは恥ずかしい事じゃなくなり、それに伴い肛門もポジティブなものになるだろう。肛門アクセサリーとか流行るかもね。人間の誤った進化、死ね。ーーーー液状の何かがズボンの左を走り裾口に視線をやると一筋の絶望が見えた。トイレに駆け込み、パンツを脱ぐと「ボトン」とパンツから放たれることは無いであろう異常な質量を感じさせる音で全てを再認識する。私は漏らしたのだ。クソ漏らしで1番つらい作業は敗戦処理だろう。漏らした直後は思考が止まり機械的に事が成せるが一呼吸ついた頃には事実が己を責め立て生きてて申し訳なくなる。ビシャビシャになったズボンで電車に乗り込むと車内の人間が全員こちらを見ているような錯覚に陥る。なんでズボンが濡れてるんだろう。飲み物でもこぼしちゃったのかな?と皆が考えてくれると淡い期待を寄せて救いを求めるように「うんこ 漏らした」でGoogleさんに尋ねる。スマホ画面に現れたのは数々の先駆者。彼らは口を揃えて言ってくれた。「うんこを漏らすことは恥ずかしい事じゃない」。そこには優しさがあった。うんこを漏らしても社会で生きていく強さがあった。ブログでここまで感動したのは生まれて初めてだった。人は過ちを犯すことで優しく、強くなれるんだ。クソを漏らすことは恥ずかしい事じゃない。いつか辛さを乗り越えて言ってやる。「うんこ漏らしたことないやつがうんこの話するなよw」と。
私は基本このようなレポートは書かないのだが数々の先駆者に助けられ、また、私も未来のクソ漏らしを救いたいと思いこのような駄文を作成した。遠い過去と遠い未来を繋ぐために、そのために俺達はいるんだ。
そして現在、私は彼らへの敬意を込めて文字を綴っている。事件は友人の家から駅へと向かう際に起きた。尋常じゃない腹痛が私を襲ったのだ。しかし私は生来の腹下シスト(はらくだしすと)、幾度となくこの程度の戦いは切り抜けてきた。駅までは保つ。弘法にも筆の誤り。猿も木から落ちる。河童の川流れ。私は失敗した。3度のピークを超え駅への入口が見えた時だった。4度目のピークを迎えた。未だかつて経験したことの無い波だった。気がついた時は私は駆けていた。ゆっくり歩を進めるより走る方が最適解だと感じたのだ。肛門が逝くのが先か楽園へたどり着くのが先か。ホームへの階段を駆け、左に曲がった時だった。死角から通行人が現れた。事故だった。トイレが近づき油断していた肛門は開放され、絶望が放出された。なぜ人はうんこをするのだろうか。固体の排泄物出す方法だったら口からとか鼻からとか色々あっただろ。なんなら肛門がカタツムリのように頭付近にあってもいい。首から上に肛門があればいざって時に服を汚すことも無くゲロを吐くときのような感覚でうんこができた筈だ。漏らすことは恥ずかしい事じゃなくなり、それに伴い肛門もポジティブなものになるだろう。肛門アクセサリーとか流行るかもね。人間の誤った進化、死ね。ーーーー液状の何かがズボンの左を走り裾口に視線をやると一筋の絶望が見えた。トイレに駆け込み、パンツを脱ぐと「ボトン」とパンツから放たれることは無いであろう異常な質量を感じさせる音で全てを再認識する。私は漏らしたのだ。クソ漏らしで1番つらい作業は敗戦処理だろう。漏らした直後は思考が止まり機械的に事が成せるが一呼吸ついた頃には事実が己を責め立て生きてて申し訳なくなる。ビシャビシャになったズボンで電車に乗り込むと車内の人間が全員こちらを見ているような錯覚に陥る。なんでズボンが濡れてるんだろう。飲み物でもこぼしちゃったのかな?と皆が考えてくれると淡い期待を寄せて救いを求めるように「うんこ 漏らした」でGoogleさんに尋ねる。スマホ画面に現れたのは数々の先駆者。彼らは口を揃えて言ってくれた。「うんこを漏らすことは恥ずかしい事じゃない」。そこには優しさがあった。うんこを漏らしても社会で生きていく強さがあった。ブログでここまで感動したのは生まれて初めてだった。人は過ちを犯すことで優しく、強くなれるんだ。クソを漏らすことは恥ずかしい事じゃない。いつか辛さを乗り越えて言ってやる。「うんこ漏らしたことないやつがうんこの話するなよw」と。
私は基本このようなレポートは書かないのだが数々の先駆者に助けられ、また、私も未来のクソ漏らしを救いたいと思いこのような駄文を作成した。遠い過去と遠い未来を繋ぐために、そのために俺達はいるんだ。