※凄く長い文章だし、はっきり言ってつまらんです。先に言っておきます。
下町生まれ下町育ち。
下町の人間特有の仲間意識を持ち、
東京の中でも独特の文化を持っていた
と思う。
自分は小学校までは下町で、
中学からは所謂山の手に移って
しまったので特にその特異な
文化は思い返すと不思議に
思ったものだ。
生まれ育った町のエリアは小学校の
くせに他校からの殴りこみが行ったり来たり。
後々、高校生の時に友達に聞いたら
「そんな事は無かった」って言われて
あぁ、下町だけだったのか・・・と気付いた。
小学校の前の公園で話し合いで事が済む
事もあれば、人気の無い駐車場に行って
代表者を決めてタイマンで喧嘩になる事も
しばしば。(一応、紳士協定のようなものがあって
体格の近い者同士がやりあう。後半はこの協定も
有形無実になった。)
ルールは泣いたら負け。非常に良いルール
だと思う。やり過ぎになることは滅多に無かった。
自分も体が小さい癖に負けん気は強かったらしく
小学校2年の頃に勝てる訳もないのに上級生に
突っ掛かって肩甲骨を骨折。懲りないガキだった。
溜まり場所は可愛いもんで近所の駄菓子屋。
お決まりの万引きも駄菓子屋がデビューだ。
これも小学校の前半までで、後半はゲーム
センター等に河岸が変わった。
この頃から悪さがエスカレートした。
山の手の子達が渋谷なら下町の子にとっての
渋谷はアメ横だ。独特の魚の匂いとアメリカン
な匂い。(←ちょっと間違ってるアメリカン)
下町を象徴してる何かが子供心に感じた。
アメ横では万引きは滅多にしなかった。
店員にボコボコにされるから。
アメ横には服を買いに行くのは勿論の事、
もう一つの目的があった。
「バタフライナイフ」
今ほど規制が厳しくなくて、
小学生でも買えた。
しかも値段も2000円位で
買えたから皆買ってた。
「忍者」とか言う刃まで真っ黒
なバタフライナイフだった記憶が。
半ズボン履いた小学生が
ポケットにバタフライナイフを
呑んでる姿を想像して欲しい。
そんなもの持ってれば問題に
なるに決まってる。小学校の
目の前の公園で木にバタフライナイフ
を投げてブッ刺してるのだ。
その頃を連想する情景は
優しく微笑む母親の顔と、
紙芝居屋の親父の顔と、
バタフライナイフだ。
捻くれてる。
紙芝居の親父はいつもは
矢鱈とニコニコしてんのに
何も買わないで紙芝居見ると
すげー怒ってた。
子供心に「はぁ??」って
思ってた。ガキ相手の商売で
ガキにムキになりやがって。
ガキのお陰で飯食えてるくせによ。
幸い、それを使う機会
には遭わなかった。
手が狂って紙芝居の親父に当たらなくて良かった。
その後、刃物の規制も厳しくなった。
小学校の友達がアメ横で
ナイフを振り回したのは
随分後の話しだ。大人しいけど
切れるとなにすっか分からない
奴だった。
下町ファッションがまた特殊だった。
我われのエリアでは、
50‘sファッションが
流行っていた。もう小学生も
終わりの頃だ。
ボーリングシャツにチノパン。
エンジニアブーツ。
バケーションの櫛の入る財布。
頭は出来ればリーゼント。
コレが不良の制服なんだと
頑なに信じてた。SRをカスタム
して乗るのが不良なんだと。
ロッカーズスタイルの暴走族が
勢力を伸ばしてた。
山の手では誰もそんなファッション
して無かった。アメカジとかスケーター。
チーマーが山の手の不良だった。
バイクで珍走してる奴もいなかったし。
感情表現って意味では少なくとも下町のガキは
素直だった。陰湿な事する位なら
殴る。殴り合えば
その帰りにゃ一緒に帰る。
それで仲直りだ。
けど、山の手の奴らは何か言っても
小馬鹿にした笑みを浮かべるだけ。
俺はそう感じてた。
中学生の最初の頃まだ馴染めなくて
友達も少なかった。
そんななか、野球に誘ってくれた
女の子がいた。勿論、すぐにOKした。
6人くらいで行った。男は3人位だったかな
野球観戦にも飽きた頃
球場で追いかけっこして遊んだ
時に俺一人だけ仲間外れにされた。
だからその時いた中で一番強そうな
奴を殴った。ふざけんなと。
次の日、顔をエライ腫らしたそいつと
仲直りして皆と打ち解けた。
小一時間問い詰めるよりも
一発殴る方が早い場合もありけり。
こないだ、そいつが結婚して、結婚式の
スピーチ頼まれてその話ししたら気まずそう
だったのが笑えた。でも幸せそうだったから
もっと際どい話ししてやれば良かったと後悔。
中学に入って暫くは喧嘩ばっかしてた。
ムカつく奴いればすぐ喧嘩吹っかけたし、
完全に浮いてた。
いつも喧嘩する奴がいて、そいつの
お陰で失明しかけた事もある。
ガラスを顔面に浴びて。
でも、嫌いじゃなかった。
山の手で会った始めての
分かり易い奴だったから。
でも途中で転校した。
そいつが転校して初めて
喧嘩しても無駄だなと思った。
張り合いが無くなった。
この頃から山の手も悪くないなと
思った。のんびりやるのも良いなって。
そもそも喧嘩弱いし、痛いのやだし。
なんか張り詰めてた力も抜けたし。
ガキの喧嘩なんて体格で殆どが
決まっちゃうから。小さい俺は弱かった
、人一倍戦意旺盛だったけど(笑
空回りしてたのに気付いたから。
中学の頃も家はまだ下町だったから
小学校の頃の奴らとたまに遊んでた。
けど、一部の奴らはガス吸ったり
アンパンやってた。家の下で俺を呼ぶのは
ガキの頃と変わらなかったけど、
何かが変わっちゃった。
「あぁ、こいつらとはもう世界が違っちゃったんだな。」
って醒めた頭で思った。
なんかだせぇな・・って。
高校になるとみんなそこら辺は族に入ってた。
その後は本職になったってエリート街道歩いた
奴も少なからずいたようだ。
勿論、ちゃんと仕事して立派にやってる奴も
いっぱいいる。残念ながらお勉強のエリート
コース歩んだ奴は極々一部なようだ。
高校入ってからは
適当に悪いことして、
適当に女の子とHして(←それしか考えてない)
不良=ダサイ。
みたいな図式が頭にあって、
けど、やってる事は結構悪質で、
典型的なひねくれた都会のニート
だったと思う。
学校から帰って渋谷ぶらぶらして
マンハッタンレコード行ってレコード
漁って、そのままクラブ行って女の子引っ掛けて。
オバケのパー券刷って売りつけたりなんてのも
多かった。何故かオバケのイベントの箱は西麻布の「ジオイド」だった。
バイクいじくる代わりにレコードいじくって。
珍走の代わりにクラブに入り浸った。
昨日、久しぶりに高校の友が
自分の会社を訪ねてきた。
色々苦労してるみたいだ。
大変だと。
そりゃそうだ。
みんなが必死こいて
勉強してた頃、俺らはクラブで
遊び惚けてたんだから。
自業自得でしょ。
それを社会のせいにすんのは
都合が良すぎる。学歴社会が云々って
当たり前だろ。それだけ努力してんだ。
それで浮かばれなきゃ
勉強した奴が損をする。
そんな当たり前の事認めないで
今の年まで捻くれてる奴が多すぎる。
そこで頑張る奴と
諦めて、適当にやる奴と。
俺は高卒だけど後者にはなりたくねぇ。
下町に生まれたのも良かったと思うし、
そんな環境で育ったのも良い経験だ。
その後環境を変えてくれた親にも感謝。
中学、高校の仲間には感謝してもしきれない。
奴らと夜遊び出来てる今に感謝。