色々と麻布と作家のエピソードを書いてきたが、全体的にまとめると、戦前の麻布は東京の中の別荘地、郊外みたいな位置づけだったと思う。

永井荷風や梶井基次郎の作品を読んでいても、麻布の樹や花の描写が多い。

そろそろ再開発が始まる、我善坊谷には昔は蛍がいたと荷風が書いている。

また、彼の偏奇館(今の六本木一丁目)には鶯が始終鳴いていたと、彼の日記にある。

今でも我善坊では鶯が鳴いているそうだ。

私が住んでいる、南麻布一丁目、旧名竹谷町でも鶯が鳴いていた。

鶯は丘や谷がある所を好んでいるのかもしれない。

 

麻布台には昔は多くの作家が住んでいて、荷風、基次郎の他、伊藤整、小山内薫、野坂昭如、水上瀧太郎、島崎藤村が住んでいた。

荷風は長く六本木一丁目に住んでいたが、他の人はどこからか引っ越してきて、数年でまた違う所に行ってしまう。

 

麻布が郊外的、別荘的というのは、緑が多いからだと思う。

昔の武家屋敷、ただ、江戸城からは遠いので、外屋敷が多かった模様で、その分、敷地が広かった。広い敷地にお屋敷を全部建てるのではなく、庭とか畑や納屋にしていたらしい。

それが明治以降は西の成り上がり華族の屋敷となり、徐々に外国の大使館になっていった。そのような中でお屋敷自体はそのまま守られ、また分譲されてもまだ広くて、そこの樹木はそのまま残った気がする。

お寺も多いので緑は守られている。

徳川幕府になり最初の頃、大きな火事が数回、江戸であり、お寺や大名屋敷が焼けてしまったので、少し郊外に移転させたが、その先が麻布や白金だった。

そのため、やけにお寺がこの付近には多い。

 

今でも、多くの動物、植物が麻布にはいる。

鳥も、特に冬は多く来て、鳴いている。藪で動いている小さい鳥、悠々に飛んでいる鷺。カラスも多いが、昔ほどではなくなった。