「イギリスの国民はどれほどこの交響曲を待ち望んでいたことでしょう・・
・・・」と言うような解説と共に、エルガーの交響曲第1番のFM放送を聴
いたのは、もう20年ほども前のこと。 オープンテープに録音しながら、
大変感銘を受けたと共に、エルガーを知った最初でもあった。
(威風堂々と言う行進曲ぐらいは以前から聞いてはいたが)
また、近くにクラシック愛好家がおられて、そこで聴かせてもらった曲に、
エルガーのチェロ協奏曲があった。
その人が「これはいい曲ですね」としみじみ言われたのだが、実は私は
この曲もその時がが初めてであった。
期待して買った第2交響曲にはどうも取っ付き難くて、しばらく遠のいて
しまっていたエルガーに、再び目覚めた私は、このチェロ協奏曲のCDを
買った。
そしてこのCDが、LP盤では持っていない曲を買う最初の経験となった。
チェロの非常に低く、力強い音で始まるレシタティーヴは地響きの唸りか、
それとも男の号泣か・・・?
エルガーは「高貴に・気品をもって」との指定なのだが、デュ・プレのチェロ
は凄みがある。
木管の呼応に次ぐ後半のレシタティーヴは高音で、今度はむせび泣きで
あろうか・・・?
すると、おもむろに憂いのある旋律が静かに歌い出される。
もう、ここまでで、まだ曲のほんの入り口なのに、私はこの協奏曲の虜に
なってしまう。この第一主題は繰り返されながら大きく膨らんでいく。
一方、木管で始まる短い第二主題は、ほんの少しだけ物憂い感情を軽減
してくれそうだが、全体の趣を変えるものではない。
この両主題によって簡潔に、そして見事にまとめられた第一楽章は決して
晴れることのない物思いの中に沈んで終わる。
第二楽章も第三楽章も、形は全く違うけれども、これまでの空気は不変で
ある。チェロの高音域で16分音符が並ぶ第二楽章は、焦燥感をもにじませ
るようで、また殆どがピアノかピアニシモでゆっくりと独り言をはき続けるよう
な第三楽章は、灰色一色に包まれそうな渋さと深い哀愁の色を増している。
終楽章こそ、アレグロで活発ではあるが、それとて明るくはない。まあ、努め
てそう振舞おうとしている、と言ったところだろうか。
最後に、第一楽章冒頭のレシタティーヴが現れると、アレグロの主題が呼び
戻されて、これまでの陰鬱さを一気に吹き飛ばさんばかりの疾風で締めくく
られる終わり方は、まことに印象的である。
演奏 : デュ・プレ/バルビローリとロンドン響