「……あの」

 

 しばらくして、ふいにのりえのほうから声をかけてきた。

 

「ん?」

 

「……ごめん、なさい」

 

「なに、どうしたの。突然」

 

「最初……印象、悪かったでしょう? ごめんなさい」

 

「ああ……。――ふふっ、可愛いね。自分が悪いと思ったら、素直に謝ってくれるなんて」

 

「だって……助けてくれたし、氷まで持ってきてくれて……」

 

「神子姫様が苦しんでいたら、助けるのが当然だろ」

 

「その、神子姫様っていうの、できればやめてくれる……? ……のりえって呼んで」

 

「のりえ? いい名前だね。じゃあ、お言葉に甘えてそう呼ばせてもらおうかな」

 

「あなたの、名前は?」

 

「オレ? ヒノエって呼ばれてる」

 

「珍しい名前だね」

 

「まあね。ところで、聞いた話じゃ、本宮へ行くそうじゃないか」

 

「うん。熊野水軍の偉い人に用があるの」

 

「頭領に?」

 

「知ってるの?」

 

「ああ、まあね。ここ、田辺は熊野水軍の本拠地なんだぜ。熊野水軍の一員として、おまえを歓迎するよ」

 

「え!? ヒノエくん、熊野水軍の人なの!?

 

 がばっと起き上がってヒノエを見た。

 

 額にあった布が膝の上に落ちる。

 

「驚いた?」

 

「う、うん……」

 

「ふふっ、可愛いね。目がまん丸だ」

 

「だって、水軍の人ってもっと……」

 

「もっと?」

 

 頭の先から足の先まで眺める。

 

「…………」

 

「いいよ、正直に言って」

 

「……もっと、大きくて怖そうな人かと……」

 

 町で見かけた水軍らしき者は、陽に焼けて筋骨隆々としてごつい感じがした。

 

 だが、目の前にいるヒノエは確かに、はだけた腕には筋肉はあるが、綺麗な顔立ちを見ると、精悍という印象は全くない。

 

「オレは怖くない?」

 

「う、うん……優しい」

 

「熊野の男はみんな、女には優しいよ。情熱的に愛す」

 

 言ってヒノエはのりえの左手を取って、その甲に口づけをした。

 

 

 ――籠もよ み籠持ち

   堀串もよ み堀串持ち

   この丘に 菜摘ます児

   家聞かな 告らさね

   そらみつ 大和の国は

   おしなべて 我こそ 居れ

   しきなべて 我こそ 座せ

   我にこそは 告らめ

   家をも名を――

 

 

 歌を詠み、上目遣いでのりえを見る。

 

「さっき、名前を教えてくれたよね? 知ってたかい? 自分の名前を相手に告げるってさ……昔は、相手に心を許すっていうのと同じ意味だったって」

 

「…………」

 

 しかしヒノエが期待していたような反応はなかった。

 

「どうしたの? どこか痛い?」

 

 どことなく表情が暗い。

 

「……ヒノエくんは、怖くないの?」

 

「なにが?」

 

「気づいてるでしょ? この瞳」

 

「左右の色が違うね。初めて見た。海のように綺麗だ。……もしかして、鬼の目だからって、怖がられると思ってた?」

 

「……少なくとも、京の人たちは怖がる」

 

「そりゃ女を見る目が無い馬鹿どもだ。この熊野じゃ、お前のような女を放っておくような男は一人もいないよ」

 

 その時、小さな咳払いが聞こえた。

 

 ヒノエは立ち上がり、廊下のほうを覗き込む。

 

 障子に背を預けるように敦盛が立っていた。

 

「盗み聞きとはいい趣味してるね、敦盛」

 

「別に盗み聞きをしていたわけではない。……それよりもヒノエ、朔殿たちに声もかけずに神子の元へ来るのは非常識ではないか」

 

「邪魔されずに話したかったからね。それに、せっかく持ってきた氷がとけちゃうのはもったいないだろ」

 

「氷? 氷があったのか?」

 

「大事な神子姫様のために、急いで用意させたのさ」

 

「……そうか」

 

 うなずいて、手に持っていた小さな包みを懐の中に隠してしまう。

 

「なに隠してんだよ」

 

「なんでもない」

 

「あ、そ」

 

 気のない返事をしたかと思うと、敦盛の腕を掴んで部屋の中へ引きずり込んだ。

 

「敦盛さん、お帰りなさい」

 

 敦盛の姿を見たのりえは小さく笑って声をかけた。

 

「あ、ああ……神子、具合はどうだ?」

 

「ヒノエくんの持ってきてくれた氷で、ずいぶん楽になりました」

 

「それならよかった」

 

「のりえ、敦盛がおまえのために土産を持ってきてくれたらしいよ」

 

「え……?」

 

 ヒノエの言葉に、のりえはきょとんとした顔で敦盛を見た。

 

「ヒノエ、私は……」

 

「恋敵の手助けをするのは気が進まないけどね。敦盛も、彼女のことを考えて用意したんだろ」

 

 素早い動きで敦盛の懐から先ほどの包みを取り出し、のりえに渡した。

 

「え、あの……開けていいですか?」

 

 受け取った包みは大きさの割には重かった。

 

 敦盛に了解を得てから包みを開ける。

 

「あ……!」

 

 中から出てきたのは丸い形の果物。

 

 深緑と黒の縦縞模様が入った小玉西瓜だった。

 

 井戸か川で冷やしてきたのか、ひんやりとしていて持っているだけでも気持ちいい。

 

「これ、どうしたんですか?」

 

「あ……市で売られているのを見つけて……。もちろん、神子が何も食べたくないと分かっていたのだが、これなら水分が多いし、もしかしたらと思って……」

 

 けれど、こういった気遣いが神子にとって重荷になってしまうのだな。

 

 やはり持ってこなければよかったと心の中で深く反省していると、

 

「大丈夫、これなら食べられます。ありがとうございます」

 

 のりえは笑顔で礼を述べた。

 

「いや……あの……」

 

 無理しているような笑顔ではなかった。

 

 自分だけに向けられた笑顔に心が躍る。

 

「そ、そうか……喜んでもらえたなら、よかった」

 

「冷えているうちに食べるかい?」

 

「はい。……あの、朔たちにも声、かけてきていいですか?」

 

「ああ、のりえ。おまえはここにいろよ。オレが分けてきがてら、声かけてくるから」

 

「うん。ありがとう、ヒノエくん」

 

「神子姫様のためなら何でも」

 

 ヒノエは西瓜を受け取り、部屋を出て行く。

 

 二人は彼の後ろ姿を見送った後、何とはなしに顔を合わせた。

 

 目が合うと、のりえのほうが照れたように微笑う。

 

 それにつられて敦盛も小さく微笑んだ。

 

「……よかった。本当によくなったようで、安心した」

 

「あ、心配かけてすみません……」

 

「いや、神子が謝ることではない」

 

「みっともないところも見せちゃって……。今思えば、恥ずかしい限りですけど、これまで溜めてたもの全部吐き出したから、すごくすっきりしました。……将臣くんには悪いことしちゃったけど」

 

「将臣殿とは、幼なじみだとか……?」

 

「はい。弟の譲くんもそうですよ。三歳の頃からずっと。将臣くんたちは、こんな外見のあたしでも変わらずに接してくれて……」

 

 考えてみれば、将臣たちが自分を拒んだことなど一度もなかった。

 

 いつものりえから線を引き、距離を置いてきたのに、二人はそれでもその線を越え、傍に来てくれる。

 

 一人になりたくないと言いながら、進んで一人になろうとした自分を、何度も許し、受け止めてくれた。

 

「神子にとって、将臣殿は大切な存在なのだな」

 

「はい。もちろん、将臣くんも大切ですけど、仲間のみんなも同じ存在ですよ」

 

「え……?」

 

「仲間が苦しんでいたら助けたいと思うのは当然だし、嬉しいことがあったら一緒に喜んであげたい。悲しいことがあったら元気づけてあげたい。……今はもっぱら、あたし一人がみんなに助けられてばかりですけど。敦盛さんも何かあったら、遠慮なく言ってくださいね。これまでずっと迷惑かけっぱなしだったんで、あたしも敦盛さんに何かしてあげたいから」

 

「神子……。――神子の心遣いは……嬉しいが、私のような者は……神子に気にかけてもらえるような者ではないので……」

 

 胸元を掴み、顔をそらす。

 

「そんなことないですよ」

 

 首を横に振ったところで、複数の足音が聞こえてきた。

 

「お待たせ、姫君。分けてきたよ」

 

 盆の上に分けた西瓜を乗せたヒノエと、朔と白龍が部屋の中に入ってきた。

 

「のりえ、具合はどう?」

 

「神子、だいじょうぶ?」

 

 二人はすぐにのりえの心配をしてきた。

 

「だいぶよくなってきたよ。……あ、ありがとう、ヒノエくん」

 

「どういたしまして。――さ、こちらの姫君にも」

 

 西瓜は四等分に分けられ、食べやすいように皮を離し、さらに三角形等間隔に切られていた。

 

 それを二つずつ皿にわけ、のりえと朔に渡す。

 

「ありがとう。でも、こんなには食べられないわ」

 

 ヒノエはのりえと朔の二人分しか分けてこなかった。

 

 もとより、これは敦盛がのりえのためだけに用意してくれたものだ。

 

 のりえが全部食べてくれるのが、持ってきてくれた敦盛に対しての礼だが、さすがに西瓜を丸々一個食べるということはできない。

 

 女性を特別視するヒノエにとっては、のりえと朔の二人分さえ分ければいいと思っている。

 

「あたしも、全部は食べられないから、みんなで食べようよ」

 

「姫君のご相伴に預からせてもらえるなんて嬉しいね。じゃ、ありがたくもらおうかな」

 

 言ってヒノエは西瓜を二切れ取り、一つを敦盛に渡した。

 

「ふふっ、西瓜なんて久しぶり。敦盛さん、いただきます」

 

「あ、ああ……神子の口に合えばいいのだが……」

 

 西瓜の果汁に気をつけながら、のりえは一切れを口に運ぶ。

 

 しゃくしゃくとした西瓜の果肉。冷えた甘い果汁が一気に口の中に広がっていった。

 

「甘くておいしー❤」

 

 満面の笑顔がこぼれた。

 

「ほら、朔も白龍も食べてみて! すごく甘いよ」

 

「ええ。では、敦盛殿、いただきます」

 

「いただきます」

 

 二人も敦盛に断ってから西瓜を口にする。

 

「……本当、甘くて美味しいわね」

 

「うん! おいしい!」

 

「……気に入ってもらえたなら、よかった」

 

 三人の表情――特にのりえ――を見て、敦盛はほっと胸を撫で下ろした。

 

 それから五人で西瓜に舌鼓を打っていると、宿を探して出ていた将臣たちが戻ってきた。

 

「おっ、うまそうなモン食ってんじゃねぇか。西瓜なんてどこにあったんだ?」

 

「敦盛さんが買ってきてくれたの。将臣くんも食べる?」

 

「へぇ、敦盛が?」

 

 その敦盛と視線が合う。

 

「あ、あの、将臣殿……」

 

 何か言い訳のようなことを口にしようとしても、うまく言葉が出てこない。

 

 しかし、将臣はそんなことを気にすることもなく、

 

「悪いな、敦盛。面倒かけさせちまって」

 

「え……いえ、私も……神子を守る八葉の一人ですから……」

 

 その八葉として、神子のことを気にするのは当然のことだ。

 

「じゃ、一口だけくれ」

 

 言うが早いか、将臣はのりえが持っていた西瓜にぱくりと食いついた。

 

「一口でいいの? まだあるよ?」

 

「いいんだよ。それは敦盛がおまえのために用意してくれたものなんだろ。食えるんなら、なるたけおまえが食ってやれ」

 

「う、うん……」

 

 自分のためと言われて、なぜだがのりえは急に恥ずかしくなった。

 

 敦盛が自分のために用意してくれたのは分かっていたが、それを改めて第三者から言われると心がくすぐったくなる。

 

 こみ上げてきた照れを悟られまいとして、

 

「で、でも、みんなも暑い外にいたんだから、食べたほうがいいよ! あ、譲くんも食べる?」

 

 早口で捲くし立て、将臣が食べた西瓜を譲に差し出す。

 

「いえ、俺は……」

 

 のりえが食べていた西瓜ならともかく、差し出されたのは将臣が先に口をつけたもので、さすがに兄との間接キスは歓迎したいものではなかった。

 

「俺たちのことよりも、先輩は自分のことを気にしてください。食べられるようになったのなら、無理のない程度で食べてください。でないと、先輩のことだから、いつまた食べないようになるか、俺はそっちのほうが心配で……」

 

(やぶへびだった……!)

 

 だが、意外にも譲の小言はそれで終わった。

 

 本来ならまだ数分は続くものなのに。

 

 わずかに首を傾げつつ、西瓜をしゃもしゃも食べていると、

 

「んで、さっきから気になってたんだが、こいつは一体誰なんだ?」

 

 ふと将臣がヒノエを親指で差した。

 

「額のヤツ、飾りでもねぇんなら、おまえも八葉の一人だよな?」

 

 前髪でほぼ隠れていたが、ヒノエの額にある宝玉の存在を、将臣は見逃してはいなかった。

 

「八葉? オレが?」

 

「ヒノエが?」

 

 ヒノエ本人の声は当然のことながら、弁慶からも驚きの声が上がった。

 

「……なんだよ、その言い草。あんただって八葉だったら、オレも同じことを言ってやる」

 

 そのヒノエの言葉に、弁慶は右手の甲を見せた。そこには八葉の証である宝玉が埋まっている。

 

「マジ? あんたが八葉?」

 

「ええ、本当ですよ。僕はのりえさんに仕える八葉の一人です」

 

「……マジかよ、オレが八葉? 龍神の神子を守るっていう……。ちょっと、まずいな。それ」

 

 顔をしかめ、なにやら考え込んでしまうヒノエ。

 

「んで、こいつは一体何者なんだ?」

 

 弁慶と敦盛とのりえは正体を知っているらしいが、その他の者は彼が何者なのか知らない。

 

 将臣がもう一度聞くと、

 

「ヒノエくんって言って、熊野水軍の人なんだって」

 

「へえ、水軍の奴だったのか」

 

「八葉になるのは嫌なのか?」

 

 聞いたのは敦盛。

 

「気は進まないね。オレは無償の奉仕っての、向いてないし」

 

 顔をあげ、ヒノエは言う。

 

「あ、あの、あたしは別に無理強いはしないから……。八葉っていうのも、危険だし」

 

「危険? オレが自分の身可愛さに渋っていると思ったら大間違いだよ。可愛い姫君が危ない目に遭わないように守ってやりたいが……」

 

 ヒノエが抱えている事情が事情なだけに、安請け合いはできない。

 

「だけど、そうだな……しばらく熊野にいるんだろう? それなら、オレのほうから会いに来るよ。互いに知り合う時間ってのも必要だろ」

 

「でも、ヒノエくん、本当に嫌なら、無理に会いに来なくてもいいよ」

 

「なんだい? のりえはオレが八葉じゃ不満だって言うの?」

 

「ちっ、違う! そんなんじゃなくて……」

 

 首を横に振り、顔をうつむかせ、しまいには無言になってしまった。

 

「ヒノエ」

 

 ふいに弁慶が彼の名を呼んだ。

 

 ヒノエが弁慶のほうを見ると、彼は意味ありげに目配せをし、小さくうなずいた。

 

「のりえ、そんな顔しないで。オレが悪かった。さっきの言葉は取り消すよ。でも、オレにも八葉である前に、オレの事情ってもんがある。大事なね。おまえのようないい女を守るってのは、男にとってこれ以上ない歓びで、おまえの八葉だってこと、決して嫌だという気持ちはないよ」

 

「違う、違うの。あたしが言いたいのは……自分の命を危険に晒してまでも、あたしを守らないでほしいの」

 

「なに……?」

 

「だから、不満なんてことは全くなくて……逆に、迷惑かけちゃうから……だから、嫌だったら、放っておいていいから……」

 

「おかしなことを言うね、のりえは」

 

「おかしくなんかないよ! だって、自分のせいで誰かが傷つくのは嫌だもの! 二度とあんな思いは嫌だもの!」

 

「……のりえ、やめろ。興奮するな」

 

 わずかに取り乱し始めたのりえを、将臣が背中を叩いて抑える。

 

「ボクは落ち着いてるよ!」

 

「どこが落ち着いてんだ。またぶり返すぞ」

 

 一人称が〝あたし〟から〝ボク〟に変わった時点で、のりえの心は平常ではなくなっている。

 

「……分かった。おまえがそれを望むなら、言う通りにするよ。――それじゃあ、今日のところは退散するよ。よくは分からないけど、のりえに負担をかけさせちゃいけないみたいだしね」

 

 言ってヒノエは立ち上がり、のりえの元へ来ると、右手を取ってその甲に軽く口づけをした。

 

「じゃあね、のりえ」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 ああ、これ多分……オリキャラの蒼陽・紅夜の双子がいない世界線での話だな。

 

 きっと最初にこれを書いて、でも一週目はとことん悲劇にしてやろうっていう思いから蒼陽たちの話を追加して。

 

 田辺でも面をヒノエに取られようとして気を失ったあとが、あっちの悪夢の流れと、こっちの原作に近い流れだったのかも。

 

 あ、ちなみに四肢裂きの拷問は尊敬すべき小野不由美先生の十二国記から。

 

 

 ……しかし、将臣くんに八つ当たりしたみたいなセリフがあるけど、どんな八つ当たりを書いたのかもはや忘れてしまったわ……。