入院してから、母の状態は思っていたよりも早く変わっていきました。

 

受診して、間質性肺炎だとわかり、入院になった。
その時点では、正直ここまで急に悪くなるとは思っていませんでした。

母はすぐに絶食になり、発熱もありました。

 

そして、そこからせん妄が始まりました。

 

私がこれまで介護の現場で見てきたせん妄も、もちろん大変なものでした。
でも、実際にそれが自分の母に起こると、まったく違う重さがありました。

 

母のせん妄は、この時が一番ひどかったと思います。

 

もともと母は血管が細くて脆い人でした。
入院するたびに、看護師さんが点滴のルートを取るのに苦労していたと、母自身もよく話していました。

そのうえ、せん妄で手を動かしてしまう。
点滴の針がずれたり、液漏れしてしまったりすることがあって、母は抑制されていました。

 

その姿を見るのは、やっぱりつらかったです。

 

夜だけではなく、昼間もせん妄はありました。

母は、うわ言のようにいろいろなことを言っていました。

「田舎に家を建てる」「〇〇にあれをしなくちゃ」
「やり残したことがいっぱいある」

 

今ここで起きていることとは関係のない話を、次から次へと口にしていました。

その言葉を聞きながら、母の頭の中では何が起きているんだろう、
どこまでわかっていて、どこからがわかっていないんだろう、
そんなことを考えていました。

 

意識が朦朧としていて、うまく話せない時もありました。

さっきまで何か言っていたのに、急にぼんやりして反応が鈍くなる。
その繰り返しでした。

 

面会に行っても、長くはいられませんでした。

10分くらいすると、母は

「もう帰れ」と言いました。

 

人がそばにいるだけでも疲れてしまうのか、
それとも自分の姿を見られたくなかったのか、
本当のところはわかりません。

 

でも、その言い方が母らしくて、
つらい中でも少しだけ「いつもの母」が残っているような気がしました。

 

その頃、母はずっと「お尻が痛い」と言っていました。

便秘がひどかったのです。

何かしてあげたい。
少しでも楽にしてあげたい。

そう思っても、家族にできることは多くありませんでした。

 

医療的なことはもちろんできないし、
勝手にいろいろ触っていいのかもわからない。

それでも、ベッドの姿勢だけは、少しでも楽になるように内緒で直していました。

本当に、そんなことしかできませんでした。

 

介護の仕事をしてきた私でも、
自分の母の前では無力でした。

 

知識があることと、
大切な人を前にして何ができるかは、まったく別なんだと痛感しました。

この時の母は、本当につらそうでした。

そして、見ている家族もまた、つらかったです。

 

せん妄は、本人だけが苦しいものではなくて、
そばにいる家族の心も大きく揺らします。

目の前にいるのは確かに母なのに、
いつもの母ではない。

でも、その中に時々、ふっと母らしい言い方や表情が戻る。

だからこそ、余計に胸が締めつけられました。

 

今思い返しても、この時間はとても濃く、重たい時間でした。

けれど、あの時の母が何を言っていたのか、
どんなふうに苦しんでいたのか、
家族が何を感じていたのか。

それもまた、
母が旅立つまでの大切な時間だったのだと思っています。

 

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