先日アップしました 武蔵野中央公園で撮った写真の
『3月5日撮影画像✿勝手にムービー』 の記事の本題になります。
記事はこちら https://ameblo.jp/creopatoran/entry-12444918399.html
今回の記事を読んでいただくにあたり、
まず先に 2017年1月に投稿したブログを読んで頂ければと思います。
今回の記事と繋がってきます。
以前書いた記事はこちら
https://ameblo.jp/creopatoran/entry-12237565863.html 2017年『初詣と慰霊碑』
この時初めて中島飛行機について知ることになります。
神社の裏手に在る慰霊碑
その場所は、
昔、『中島飛行機』という 戦闘機を作っていた重要な工場の研修所があった土地でした。
そして、中島飛行機武蔵製作所で働き、空襲で命を落とした人たちの慰霊碑です。
昨年の8月9日、原爆関連の細かな時系列のツイートを見ていたら、
8月9日長崎に原爆投下される前日にこんな空襲がありました↓
JS.Kenta@isokaze19378月8日 本土爆撃 東京空襲 16:27~16:35、米第20空軍B-29 51機、武蔵野町の中島飛行機武蔵工場を中心に爆撃。死者195名。 https://t.co/uZkvb302l1
2018年08月08日 16:27
『あれ?中島飛行機だ。。。 8日に空襲受けたんだ…』
そう思いました。
それまで武蔵工場というのは調布飛行場のことかな? と勝手に思っていました。
ネットで調べてみると、中島飛行機武蔵工場は 調布飛行場のとこではなかった。
全く違う 現在 武蔵野中央公園になっている所。
それは、以前お勤めしている時、通勤途中いつも通っている所でした!
全然知らなかった。。。!
それで、私は中島飛行機武蔵工場のことをもっと調べたい と思いました。
調べてみると、色々と武蔵工場のことが残されていることを知り
いつか行ってみよう と思っていましたが、ついつい先延ばしになっていました。
そして、今月5日 日本年金機構の武蔵野年金事務所に行く機会があり、
その事務所が武蔵野中央公園からほど近かったため、
これは絶好のチャンス! と、
中島飛行機武蔵工場の形跡を探しに歩くことにしました。
現在は高齢者センターや私立の小学校、マンションなどが建ち並んでいます。
隣接する 武蔵野中央公園
武蔵野市役所の西側に当たります。
都立武蔵野中央公園は約11万平方メートルの敷地を持ち、原っぱ広場、スポーツ広場、バーベキュー広場など、広大な敷地の中に数々の施設が設置されています。
中島飛行機武蔵製作所は、東洋一といわれた航空機エンジンの大工場をもち、零式戦闘機(通称「零戦」)」や一式戦闘機「隼(はやぶさ)」のエンジンを製造。
1944年(昭和19年)7月、アメリカ軍がマリアナ諸島サイパン島を占領し、そこに大型爆撃機B29の基地を築く。
同年11月24日には、同島から日本本土空襲を開始し、最初の目標となったのは、その中島飛行機武蔵製作所でした。
戦争当時、この武蔵工場が重要であることはアメリカ軍も把握していて数回の空襲を受けています。
(ネットからお借りしました)
だが、野球場の閉鎖に伴い 1959(昭和34)年、武蔵野競技場線は廃止となる。
富士重工業は、航空機技術者によって自動車産業に進出したのだが、いつかは国産航空機開発の再開を目指して設立した会社でもあった。