長女の高校受験も有って年末から外泊が有ったので
東京は湯島に有る湯島天神に3人で行きました。
20台の頃家で同然で会社のトラックを借りて

私が一人暮らしを始めたのが湯島天神から
上野の小山(上野動物園や芸術大学や美術館は山にあります)の裾を回り込んだ
文京区の根津い住んでいました。
上野、湯島、秋葉原などよく徒歩で歩いた物です。

湯島天神のへの階段の手前の甘味所で学業成就を願った後
娘3人とアベカワ餅セットを食べました。
アベカワ餅2個と甘酒のセットです。
お店の雰囲気もとても静かでがやがやとはしていませんし味もとても美味しくて
娘2人も喜んでいたのを思い出します。

地の利は解るのですが若い当時はまだお金もない状態の私
お給料が入ると肉を食べようと先輩と行くのは根津の赤札堂近くの牛丼の吉野屋が唯一の肉でした。

それ以外はほぼ毎日甘エビとイカの一皿盛りを魚屋さんで購入してました。
当時そこそこ入ってましたけど1皿150円でしたけ...
和食屋さんの店頭で煮魚、焼き魚も売っていましたが
1匹や半身で200円以上なので買えるのは切り干し大根やヒジキ煮でした。

お米は母が送ってくれていたのでお金がない時は炊いた白米に塩かけて食べてましたっけ。
まだご飯が食べられるだけでもましだと思ってましたっけ...

家出同然で出て来た私の住まいを見たいと一度だけ母が部屋をみたいと行っていたので
住んでる連れて来た事がありました。
昔の学生アパートを改装した部屋で木質の窓をしめてもカーテンが揺れました。
冬は寒いのでストーブを付けっぱなしにしないと寝られない部屋。
壁も薄く隣や上の部屋の声が聞こえましたっけ。
窓は2カ所有って1カ所は開けても20センチ程前はブロック塀で日が射さない
もう一カ所は中庭に面していたので日が差し込むのが救いでした。
暖かなひは窓を開けると向かいの部屋には一人暮らしのおばあちゃんの姿がいつもありました。
お風呂も無く当時は先頭通いでした。
家賃は当時22,000円銭湯は240円位でした。

その元気だった母も輸血から感染し今から
4年前にC型肝炎からくる肝硬変で心不全で自宅で亡くなりました。

「おばあが元気なら身体が動かないからご飯付くってあげられるのにごめんね...」
それが口癖だったと娘達から聞きました。
食事は2階のリビングに手すりを捕まりながらあがってきていました。
お風呂も一人で入っていましたが段々とその力も無くなってきました,,,

父親は具合の悪い母をほておいて朝からなじみの喫茶店→パチンコの毎日
母が父を呼んでも無視してパチンコ通い
流石に私も父に言いましたがその場では「解ったよ」と良いながら翌日にはパチンコ...
昔からパチンコばかりしていて父が休みの比私が子供の頃にはよくパチンコ屋に
「お父さんお母さんがお昼だから帰って来てって行ってるよ」とパチンコ屋に
自転車に乗って伝令に行っていました。
(私のギャンブルが好きではないのはこの辺りのトラウマなんでしょう)

C型肝炎は東京では難病指定になて医療費の補助は出ますが
埼玉県では難病指定になっていないので医療費は持ち出し
月2万以上かかっていました...
もっと早く肝炎の制度が出来ていればもう少し長生きしてくれたんだろうな~などと思います。

私も帰宅が遅いので子供達が食事やお風呂の面倒を見てくれていました。
最後の日も長女が母に食事を与え
次女が一緒にお風呂にはいりましたっけ。
長女小学6年次女小学4年でした...

母が亡くなったは4年前の2月...
父も5年前の冬から具合が悪いと部屋にこもって寝ていました。

亡くなった母を発見したのは父
父は昼夜逆転していたので母とは寝室を別にしていたのです。
それでもたまに様子を見に行っていた様です。
ベットからずり落ちた状態で目を開けていました。
眼下が落ち込んでいたので亡くなっているのは一目で解りました。

叫ぶ父を自室に追いやってまずは警察に電話。
次には隣の県に住む母の弟(叔父)に電話をしました。

母の部屋は荒れ放題
私が入ろうとするといつも父に怒鳴られて入れなかった理由がよく解りました。
娘達の物が11畳の和室に半分残り半分は父のものでした
これでは老人虐待の様です。
娘達を呼んで部屋を3人で片付けていると
警察が到着「救急車はどれくらいで来ますか?」と警察官
「あ!救急車呼ばなきゃならないんですか」と私
(2週間前自宅で亡くなった時どうするかたまたまテレビでみていたのですが救急車を呼ぶのを忘れていた様です)
「今から呼びます。」
「かかりつけの病院へ搬送したらいいんでしょうか」と私
「搬送してもしょうがないからこちらで手配しますよ」と警察官
無線で連絡をとりましたが母のかかりつけの病院は夜勤のDr.がすくないので
他の病院のDr.がくる事になりました。

遺体検分をするので部屋から出て欲しいと言われましたその間に私、父、子供と事情調書が行われました。
警察官が何度も不思議そうにしているので事情調書終了後教えてくれました。

「どうもお母さんの内蔵が腐敗してるんですよ」

「それってどうゆう事ですか?」と私

「普通なら死後1日経ってるんですけど...」

「おまわりさん、長女が母に食事をあげて、次女は9時頃一緒にお風呂に入ってるんですよ」

「子供2人がそんな噓付くとは思えませんしね」
「お父さんも昼間見た時に布団をかけてあげたっていってましたしね」と警察官

「内蔵が腐敗していて生きてる物なんですか?」
「でも子供達も父親もそこまでいくら何でも嘘はつかないでしょ?」と私

「...」

翌朝6時頃和室のシャッターをあけ隣のご主人に母が亡くなった事を告げると
ご近所の方が手伝いは無いかと駆けつけてくださいました。
母の部屋の様相はすでに知っていたらしくとりあえず全てゴミ袋につめて庭に置きました。
ペットボトルなどはそのままスーパーのペットボトル入れにいれにいきました。
大人5人で3時間ほど片付けに時間がかかりました。

結局死亡診断書には発見した日が記載され死因は心不全と記載されていました。