6日の土曜日に、半年振りに東京に出現します。

日帰りで(汗)

仕事は不倶戴天のお役人様に書類を手渡すだけなので(爆)お昼までには片付くと思います。



私は東京に行って時間があったら、美術館めぐりか、江戸の和菓子食べ歩き、と相場を決めてるんですが・・・。

根津美術館がリニューアルオープンしたようですね。でもあいにくこの時期、展示品がぱっとしない。

ということで、午後は、去年食べ損なった老舗のお団子を食って、浅草からこれも乗りそこなった水上バスに乗ってやるぞ。

と、心を決めております。


・・・できればもう少し、暖かい時期にしてもらいたかったですね(泣)


<PS.>

都内在住の方にご質問。

血糖値が気になるので、どちらかひとつ、といわれたら、「長☆寺の桜もち」と「言☆団子」とどっちにします?(爆)
昨夜の2枚目に、東(左)隣の1枚をくっつけてパノラマにしてみました。拡大すると継ぎ目までくっきり鮮明にわかるかも(汗)

$An die Musik-パノラマ版神戸中心部
この文字をクリックで原寸大版が開きます



右寄り中央、光がいちだんとかたまったあたりが、三宮周辺ですね。オレンジ色の橋でつながった左中央の島がポートアイランド、その沖が神戸空港、さらにはるか対岸の光が関西空港です。

三宮の光の塊のやや左下、ひときわ高い2本の樹にはさまれて、白く縦の光の線が見えているのが、昨夜UPした最初の写真の、左側のトンガリ屋根のビルですね。わたしの自宅はそのやや左下、木々に隠れたあたりです(汗)

この写真のさらに左には、神戸東部から阪神間の町々、そして大阪平野と延々光が連なるわけですが・・・自分の足元、一望のもとに、一千万人を超える人間の営みを見下ろしているのかと思えば、人間のはかなさをつくづく思い知らされます。

写真を撮りにいくついでに、長崎の親戚から引き取ってきた2人の娘モドキを連れて行きましたが、彼女たちはこの夜景の裏に、見慣れた故郷の夜景を重ね合わせて眺めていたかも知れません。私は長崎の夜景も大好きで、山が低いので眺めのスケールはありませんが、その代わりに灯りが間近に迫って迫力がありますね。神戸は光の粒の一つ一つが小さくて、なにやら現実離れした風景に感じられます。

長崎は神戸にとっても縁の深い街ですが、なかなか遠くて往来は大変です。幸い今年中には、格安料金で知られたS社の直行便が神戸空港から飛ぶようになるそうなので、彼女たちにもももっと気軽に里帰りしてもらえそうです。帰っても迎える家族はいないけれど、生まれ育った街の灯はいくつになっても忘れてほしくないですしね。

日記の更新も滞りがちで、しかも更新したかと思ったら重たい話ばかり(笑)

・・・なので、ちょっと息抜きに。


友人が、夜景が簡単に撮れるデジカメというのを貸してくれたので、さっそく夜の街に繰り出してみましたが、いかにカメラが進歩しても腕前が変わらないままではだめですね(汗)

とりあえず、出来のマシなやつを。


An die Musik-新神戸駅前
  自宅の近所のビル群をパチリ。すごい都会のようですが、すぐそばの住宅地にはイノシシが(汗)(クリックで拡大します)




$An die Musik-摩耶山から中心部
定番の、山の上からです。全体の5分の1ぐらいですね(爆)ひたすら寒かった・・・(クリックで拡大します)
前の2回からお読みください。 (1) (2)


いぜん、聖地と巡礼について述べた本で、巡礼あるいは聖地詣では、ある歴史上のできごとや人物に関するゆかりの地をめぐることで、そのできごとや人物を追体験し、自分の生き方とのかかわりを確認しようとする行為だ、というのを読んだことがあります。

震災を体験した市民たちの間にいつごろからか、「震災モニュメントウォーク」というイベントがひんぱんに行われるようになっています。震災の頃、交通機関が途絶して、長い距離を歩いて通勤した思い出がありますが、そうした体験を再確認しながら、市内のあちこちに点在する記念碑や遺跡などをたずねあるき、ゴールの東遊園地を目指すのですが、これもいってみればひとつの巡礼のすがたかもしれません。

そのように、この公園が聖地化していく反面、被災者、それももっとも心に深い傷を負った方々の間には、そういった体験との自分とのかかわりを否定して、忘れ去ろうとする人も少なからずいることも確かです。私の知人でも、三宮からミナトの方面にいくのに「東遊園地の前を通るのはつらいから」と、わざわざ遠回りしていくという人がいます。その心境もよくわかる気がします。私でも慰霊のモニュメントのまえには立てても、いざスロープを降りて両親や友人たちの名をきざんだプレートの前に立つにはまだだいぶ思い切りが要りますから(汗)

けれどもその一方で、被災者や震災の直接体験者でもない方々で、最近この地を訪れる人が少しずつ増えつつあるようです。

第1回の冒頭で、ここ1週間で2回、東遊園地への行き方を訊かれたと書きましたが、その2回目は女子大生さんのようで、私が「モニュメントをご訪問ですか?」ときいたら、「モニュメントもあるんですか?」と聞き返されてしまいました。なんでも、1月17日の夜に、震災をテーマにしたTVドラマがNHKで放送され、そのラストシーンに、その早朝撮ったばかりの東遊園地での黙祷のシーンが使われていて、とても感動して、ぜひその場所に立ってみたくなって隣の県からやってきた、というのでした。

その方は震災の頃はたぶん小学校にもあがるかどうかという年齢に違いなく、震災の体験はもちろん、報道の記憶もないでしょう。そういった方が、きっかけはドラマでもなんでもいいけれど、幼い時代に遠い街で起こったできごとと、自分との間になにかのかかわりを見つけ出そうとされたことに、私は深くうたれ感謝しながら、彼女にモニュメントの場所を教えて別れました。

1回目に会った方も、ほぼ同じくらいの年代の方でしたね・・・


私たちにとっては、戦災や、広島・長崎の被爆のことは、歴史としては知っていても、いわばすでに伝説。阪神・淡路の震災も、若い方にとってはすでに伝説の域に入りつつあるのかもしれません。

けれども震災の記憶とは、たんに街を一瞬にして破壊したその恐ろしさや、失われた数多いいのちを悼む悲しみの記憶だけではありません。そのなかで生き残ったいのちをいとおしみ、ともに支えあって生きることの喜び、苦難の中から立ち上がった名もない市民たちの底知れない勇気の記憶でもあるはずです。震災を直接体験した者たちだけでなく、人間としてこれからの未来を生きる多くの方々に、その記憶を受け継いでいくために・・・


観光でも、ビジネスでも、この街をおとずれようとされる方々のうち一人でも多く、とくに若い方々に、この公園に足を運んで、モニュメントの前に立っていただきたい。そして15年前に起こったあるできごとと、これからの自分の生き方の間になにがしかのかかわりを感じ取っていただければ、と願っています。


(そして、もしまだ時間がおありでしたら、こちらのほうにもぜひ、お立ち寄りいただければ幸いです。)

  神戸港震災メモリアルパーク 

  阪神淡路大震災記念・人と防災未来センター



$An die Musik-市庁舎から1.17
きのうの続きです(汗)


東遊園地は観光名所ではない、と書きましたが、実をいえば近年、この場所を訪問された観光客はけっこうな数にのぼると思います。

前回ご紹介した平尾亮さんの記事にもあるように、いまや神戸を代表するイベントになった、12月のルミナリエのメイン会場にもなっているためです。

ルミナリエに寄せる私の思いは、昨年の点灯式の日にも書きましたので、あらためては書きません。

ただ、最近は犠牲者の鎮魂と復興への願い、という当初の意義がしだいに薄れ、観光客向けのイベントとしての性格が目立ってきて、あらためてその開催の意義が問われるようになってきています。年々企業の協賛金を集めるのが難しくなり、このままでは継続開催が危うくなってきているとも伝えられています。

ルミナリエの当初の意義に立ち返って、規模を縮小してでも1月17日をふくむ期間の開催にあらためるべき、との意見も根強いものがあります。私自身もそれに賛同するのですが、ただその場合には、ルミナリエと追悼の集いと、会場を同じくする2つの光のイベントをどう共存させるのか、知恵を絞る必要があるでしょうが。

もちろん、震災後しばらくは観光客の姿もぐっと減り、さびしい思いを感じていた市民としては、その開催意義はどうであれ、数多くのお客さんにこの街に戻ってきていただくだけでも大きな喜びですから、遠来の方々にはただその光のページェントを楽しんでいただけばよいのだ、とも思います。ただ、旧居留地側からの光の回廊を通り抜け、東遊園地の大広場に設置された光の大伽藍を見上げて感嘆の声をあげられるとき、ひとつだけ思い起こしていただきたいのです。いま皆さんが立っておられるその同じ場所に、およそひと月の後、こんどは数千本のロウソクの光が「1.17」の文字を描くのだということを。


$An die Musik-モニュメント前から

グルっぽ「愛のバトン」の画像にも使わせていただいています。
「慰霊と復興のモニュメント」スロープ入り口からのルミナリエ。


                         (次が最終回です、たぶん:汗)