ビルケナウ強制収容所 | マーヴェリックの海外旅行写真集!ガイドブックでは知ることの出来ない裏テク情報満載!

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アウシュヴィッツ強制収容所から少し離れたところにあるビルケナウ。


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ビルケナウには、鉄道引込み線があり、多くのユダヤ人が列車で運ばれてきました。


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面積は1.4㎞2、300棟以上のバラックが並び、アウシュヴィッツよりも大規模な強制収容所であり、一大殺人工場でした。


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「死の門」と呼ばれるゲートの先には、広大な敷地に点々と木造のバラックが建ち並んでいます。1941年に建築がスタートし1945年にソ連軍により開放されるまで、数百万人がここで命を落としました。


現在、バラックは点在するのみですが、このあたりは、冬になるとマイナス20度になるため、終戦後、ほとんどの木造バラックは暖を取るための薪として使うために取り壊されたのが理由です。


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現在では一部が残るのみですが、バラックによっては内部が使用された当時のままに保存されているものもあります。


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ビルケナウ強制収容所のトイレ。ビルネナウの規模の割りに、トイレは圧倒的に不足していたため、使用できる秒数が決まっていました。それを超えて使用すると、トイレの時間が長い!との理由で処刑されることもあったようです。


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こちらは囚人用のベッド。一段に7、8人が収まりました。アウシュヴィッツと比べると分かりますが、レンガ造りのアウシュヴィッツに比べて、こちらは馬小屋レベルの木造建築。アウシュヴィッツの方が、まだマシと言えます。


こんな木造小屋では、冬のマイナス20度の気温に囚人が耐えられるわけがなく、凍死する人が多かったようです。


ナチスにとって、囚人は貴重な労働力であったため、死なれてしまうと困るので、囚人のためというよりも、生かしておくために、各部屋に暖炉が設置されることになりました。



今回、アウシュヴィッツとビルケナウに足を運んで、帰国後に改めてシンドラーのリストを見ましたが、


・なんでトランクに名前を書いているシーンがあるのか?

・煙突から煙がモクモクと上がるシーンの意味


などなど、旅行前と旅行後で受け取り方が全く変わりました。


シンドラーは、ドイツ人でありながら、実業で得た金に物を言わせて、ナチスの内部に潜入し、ユダヤ人の救済に全力をかけた人物。彼が経営する工場で働いていたユダヤ人は、強制収容所で命を落とすことなく終戦を迎えることができました。


今回の旅行では行くことができませんでしたが、クラクフには彼が経営したホーロー工場跡があり、2010年6月にはクラクフ歴史博物館としてオープンしています。


次回のポーランド旅行で、足を運んでみたい♪



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