一関市で法律事務所を開いていた千田功平弁護士が、一昨日急逝された。

 2日間、喪失感という言葉が薄っぺらすぎると感じるほど、感情を揺さぶられ続けている。

 千田功平弁護士は、県内きっての(という表現が至当と思う)人権派弁護士だった方だ。

 10年以上も前の話だ。ある人の生活相談で、にっちもさっちもいかない局面に直面し、しかも、緊急に解決しないと命にかかわる問題が持ち込まれたことがあった。

 土曜日の夜で、当然事務所は閉まっているのだが、特別に代理人として問題解決にあたってくれたのが千田功平弁護士だった。

 小説やドラマで「弁護士もの」をよく見かけるが、架空の「弁護士」と比較しても、千田先生ほど法律家としての立ち位置をハッキリさせていた弁護士は稀有の存在だったのではないか。

 2001年テロ特別措置法が強行されようとしていたメーデー会場で、千田先生から「連日昼デモをやりましょう」と呼びかけられたことを鮮明に覚えている。

 「思い立った人が個人の資格で呼びかけて、機動的に取り組むことが重要です」という発想で、千田先生を先頭に3名の呼びかけ人からデモがはじまった。

 亡くなる前日は、秘密保護法に反対する学習会の主催者として、また講師として奮闘されていた千田先生。

 民主主義を圧殺する稀代の悪法=秘密保護法案の成立を許さない闘いに全力投球することは、千田功平弁護士の遺志を受け継ごうとする者すべての義務だろう。

 少なくとも、私はそう受け止めてがんばりたい。