Jリーグが20周年を迎えた。


 発足当初は、東京ヴェルディのチーム名変更騒動などがあって、結局は親会社が宣伝媒体としてサッカーを利用する風土から抜け出せず、クラブチームのプロ化、またはプロチームのクラブ化という文化は根付かないのでは?の危惧があった。


 正直、ここまで人気が持続し、実力が向上するとは思わなかった。


 ストイコビッチ名古屋監督が、「しんぶん赤旗」記者にこう話してくれたそうだ。


 「日本には、お金で買えない、世界に誇れる環境がある。


 子ども、女性が安全に楽しげに、そして穏やかにサッカーを楽しめるスタンドの雰囲気がある。


 こんな環境は欧州にはほとんどない。


 それは、日本に世界にあまり類を見ない『尊重する文化』があるからだと思う。


 人々はトラブルを望まず、向上心が強い。組織的にまとまることもできて、経済的な力も持っている。


 何より一人ひとりが、相手にしっかりと尊敬の念を表してくれる。私がに日本を好きな理由もここにあるのです」(「しんぶん赤旗」5月16日付け11面「Jリーグ20年の芸術」より転載)


 Jリーグは、世界から賞賛を受けるリーグに成長した。


 スポーツと政治はもちろん別物だが、国際政治の舞台で尊敬を集めようと思ったら、少なくとも確立されたルールをないがしろにする態度をとるべきでないことは明らかだ。


 「国際政治のルール」の重要な基準の一つが、国連憲章であることは間違いない。


 北朝鮮の核開発や「ロケット」発射への制裁も、この憲章が土台になっている。


 では、憲章が作られた動機はなんなのか。


 言うまでもなく、第二次世界大戦という人類が経験した悪夢を経て、侵略戦争を絶対に認めないという国際的な決意と合意に立ったものが国連憲章だ。


 翻って、最近の日本の一部政治家の言動はどうだろう。


 橋下徹日本維新の会共同代表の「『従軍慰安婦』は必要だった」発言は、こうした国際合意から最もかけ離れた最悪の妄言だろう。


 しかし、これは橋本共同代表一人の問題ではない。 


 「従軍慰安婦」にされた女性たちは、侵略と植民地支配で民族の誇りを
奪われた上に、女性として辱めを受け、尊厳を二重に傷つけられた、まぎれもない侵略戦争の被害者だ。


 そして、被害にあったことを長年明らかにできなかったという苦しみが加わる。そこに、「従軍慰安婦」問題の最大の犯罪性がある。

 侵略の事実を「学問的に定義がない」からと、一国の総理大臣が否定し、それを政界の大多数が容認している土壌からは、「慰安婦」問題の真の解決は生まれない。


 世界からかつ目されるJリーグ、それを支える国民性と、侵略とファシズムに無反省な政治家のギャップはあまりにも大きいと、世界の心ある人々は見ているのではないだろうか。


 日本国民は、時代逆行的な政治の妄動を許さない決断もできるのだということを、参院選で結果として出していきたいものだ。