人品骨格卑しからず、誰もが尊敬するお店の旦那の唯一の欠点が、下手な浄瑠璃を人に聞かせよう聞かせようとする押しつけがましい態度だった。


 「聞いてほしい」という旦那と、「聞きたくない」というお店の者や店子のせめぎあいが作り出す悲喜劇を、エスカレートする描写とともに楽しむ噺。


 カラオケの本質(歌うことそれ自体よりも、「わたくしが歌っている。人が聞いている」ところに快感を覚える)を、枝雀師匠流に解明したマクラは、それだけで独立した新作落語と言えるくらい大いに笑える。


 この「寝床」をはじめ、枝雀師匠の得意ネタには、浄瑠璃をはじめ講談や歌舞伎などが随所に顔を出す。


 落語は、それ自体として独立した話芸ではなくて、日本の「語り」の文化を下敷きに成り立っていることをよくかみしめるべきだと思う。


 というところで、「落語は補助金もらっていない」という文楽への橋下大阪市長の攻撃を思い起こさざるを得ない。


 橋下市長と懇談した文楽三味線奏者の鶴澤寛太郎さんは、


 「道具のことですが、三味線は需要も少なくなって価格が上がり、60万~80万円が相場。バチは象牙なので、安くても30万円で、上限はないほどなんです。


 研修生としてこの世界に入ってきた方だと、おおまかに必要な初期投資は350万~450万円になります。


 また、三味線の皮がへたったり、バチも角が丸くなると使えなくなる。皮の張り替えに2万~5万円からかかります。


 ところが給料は10万円あるかないかです。実際、生活費がないという状況になってくる。経費が生活費を圧迫しているんです」


と述べている。


 伝統文化を軽視する橋下流の政治は、文化の支え手の情熱に対しても謙虚さを決定的に欠いているとしか言いようがない。