原始は音、はじまりは音、波形を描く音
全てのものに”音(ゆらぎ)”があり
それは、やがて”カタチ”となる
人は目に見える状態になってから認知すること多いが
大多数の人に、”ある”と認知されて
それが世の中に実態があるようにおもわれる
だが、よくよく考えると、
まだ見えない”音(うねり)”の状態でも
受け手は、すでに何らかの印象を受け取っていることもあり
何かを感知しているのだ
感知しているということは、それは”ある”のだ
”それ”は耳で聞こえるかもしれない
肌が震えて分かるかもしれない
何かの予感として閃きがあるかもしれない
”音”の波長の大きさに
これまた心”の振れ幅の波と重なり
ウネリを生じる
それが共鳴である
共鳴はさまざまな事象を生む
目に見えることでも見えないことでも
未来を変えるような奇跡を
起こしうるパワーが潜んでいる
しかし悲しいことに、これは受け取る側に
氣持ちがなければこの奇跡は起こらない
目に見えるものしか信じられず
常識にとらわれていると
その奇跡を得ることはできない
…呪縛から解かれるまで永遠にだ
逆に、常に曇りなき心と眼でいられれば、
その力におのずと”音(うねり)”に氣づかずにいられない
でも、氣づく心、
それはとても傷つきやすい心だ
傷ついて、傷ついて、それでも感じてしまう”心”
そう在れることは大変勇気がいるし
そして、とても美しいんだ…![]()