私のイメージでは、本来の資本主義はモノや社会に投資して利益をつくり
、製造工程で手を貸した者は提供することで利益を生み、
そして生産されたモノに人々はその対価を払い,つくられたもを得うる。

 

その対価は資本家にまわり、また投資する…というtorus(循環)を描いているはずなので、

うまくやれば、ちゃんとしたシステムのはず…。

 

だが、世界で、日本で成長が止まっている。

 

自由競争という名目なので、だれでもやる氣があれば参加できるはずだが、

現実は出来レースなことが多々で、小さな芽を踏みにじり育てることをしない。

街の商店街をつぶすようなことをして、外資のおおきなショッピングモールが建てられる。

 

株というシステム、私のイメージではざっくり、育成ゲーム、

あるいは、中世にお氣に入りの音楽画家なを面倒見て庇護した貴族のように、

出来上がるものの価値にほれ込んで、応援するシステムであり、

受け取る側はその心に報いたいと一生懸命、頑張り、

双方が社会の人にも喜んでもらいたい、役に立ちたいという想いで、安心安全で喜ばれるモノつくる。

これも循環を生むこれまたtoursなシステムと思うのだが、実際はどうだろう?

 

秒ごとに動くディスプレーの数字だけが動き、

あっという間に大富豪、あっという間に破産。

そんな単なるマネーゲームになっていないだろうか。

 

会社も配当金の心配ばかりで、自分たちの作品に対するプライドや愛情を忘れてないだろうか?

使う人たちの笑顔をつくることを忘れてないだろうか?

大きく膨れ上がった数字はイコール(=)人の命の時間と流された額の汗と涙だとわかっているのだろうか?

 

たくさんの、あり得ないほどの栄養を摂取して、

放出するのはちょっぴりで、しかも失うのを怖がって低品質にしていった。

ものすごい便秘状態でおなかが痛い、それが今でないだろうか。

一方、共産主義はどうなんだろうか?

 

全て個人の私有財産でなく作ったものはみんなのもので、

それを平等(ここ重要)に分配するってイメージ。

だが、だがしかし、今ある共産主義の実際は、平等に分配されないどころか、

皆で作った財産を一部のエライ人たちだけが殆どKeepして、その還元は少ない。

 

それだけでなく見た目には、ほとんど隷属のような形で国が国民を縛っている。

これまた資本主義の実際と同じで、過食と栄養価の低い便秘状態であると感じる。

※資本主義のはずの日本も、肌感覚では、国が国民を縛っている感が否めないのは私だけだろうか?

さしずめ共産資本主義的とでもいった感じがする。

 

いずれにしても、資本主義、共産主義、の違い、経過の違い、定義の違い。

名前だけちがって、結果は似ていている。

一部へ流れるお金と支配である。

 

本当は、そこに、”心”、人らしい”人情”があるならば

ひょっとしたらどの主義だろうともうまくいくのかもしれない。

ということは、今、その”心”が…

 

 

                  次の考察へ続く…🐸