最近、ちょっと、他のブログを読んでいて、選挙で選ばれたということを軽視しすぎているかなと思うことがあったので、個人的な意見を書きます。

 何にでも明白な「答え」がある訳ではないと(学校的な正解)いうことから論じていきたいと思います。

 やはり、理性に対する偏重があると思うのです。

 科学の発達とともに、社会が発展し、人間の理性はすべてを認識できるようになったと考え勝ちな社会になってきたと思うのです。

 そこで、生まれたのが理性ですべての価値を判断できるという考え方であり、伝統的な考え方を否定するという時代に突入してきました。

 さらに言えば、物の価格も、生産数も理性で判断できると突き進んだのが、共産主義だったと思うのです。

 しかし、どうも理性は万能ではないらしいというのが、共産主義の実験国ソ連の崩壊だったと思うのです。

 そこで学ぶべきは、理性の偏重、それも哲人王政治の反省なのではないかと思うのです。

 無茶苦茶頭がいい人(理性ある人)の理性ですべて決めることができるということこそ理性の偏重だと思うのです。

 哲人王の理性でも、誤りはあり、その誤りは議論によって修正されるというのが民主主義なのではないかと思うのです。

 ただ、民主主義自体にも、人の理性により議論すれば正解が導き出せるというものです。

 よって、共産主義的、哲人王的理性偏重よりもマシですが、まだまだ理性偏重といえると思います。

 よって、理性にそれに加え、伝統をうまく議論に加味していくことが重要だと思うのです。

 安易に伝統を否定してはいけないと思います。

 伝統には、過去の人々の意思も含まれている、ある意味、民意が含まれているとはいえないでしょうか。